群馬県出身の映画史家、映画評論家、編集者。本名は松倉寿一。
著作は多いが、〈日本映画発達史〉全5巻は代表作である。
こけしの収集家、愛好家としても知られており、戦前の昭和16~18年ころに東北の工人を訪ねて、多くの工人写真を写している。
明治35年12月3日、群馬県新田郡生品村に生まれた。上京して旧制中学に通ったが、このころから映画に熱中するようになった。東洋大学に進学し、在学中に映画の批評家としてデビューした。
卒業後まもない大正14年に雑誌〈映画時代〉、昭和5年に雑誌〈キネマ週報〉の創刊編集に参加した。その後、東宝映画に在籍して地方巡回の映画上映などを手がけ、昭和15年から昭和18年にかけ地方巡回を続けた。おそらくこの時期東北各地にも訪れる機会が多く、熱心にこけし収集を行ったと思われる。
終戦後は〈キネマ旬報〉編集長、日本大学芸術学部講師などを歴任した。
晩年は東京都練馬区に住んだ。平成元年3月26日没、行年数え年88歳。
集めたこけしは、折に触れて「吾八」などで割愛頒布されたようで、昭和34年の〈これくしょん・3〉には、下掲のような思い出記事とともに入札会の案内も掲載されている。
左掲の治助は上図の「思い出のこけし作者」に記述している昭和18年9月の治助晩年作。「晩年は中風で面書きをあまりしなかったが、折角だからと一本書いてくれた。それがまた何とも言えず素朴な味だ。」と書いてある。
田中純一郎が収集したこけしは戦後何回かの入札会に出されて次の世代の収集家の手にわたっている。
また純一郎は映画関係であっただけに、東北で工人を撮影した写真も多く残している。その6X6版のネガはやはり映画人であった東京こけし友の会の武田利一にその活用を含めて託され、現存している。
その一部を下に紹介するが、昭和16~8年の工人像をしのぶ貴重な資料となっている。