渡辺賢一

渡辺賢一(わたなべけんいち:1947~)

系統:土湯系

師匠:陳野原和紀/陳野原幸紀

弟子:

〔人物〕  昭和22年4月19日、渡辺徳三・カヨの4人兄弟(一男三女)の長男として二本松市小浜町に生まれる。出生時、徳三は福島県庁・土木部勤務でエンジニアとして地元の橋の建設等に携わっていた。その後県庁を退職して、兄弟で奥土湯に東海旅館を開業し、社長となった。賢一は、もの作りが好きな事もあり、学校を卒業すると愛知県豊田市のトヨタ自動車に就職した。28才の時、家業を継ぐため帰福し、東海旅館の経営者となった。この頃同じUターン組で同級生でもあった陳野原幸紀から木地挽きの手解きを受け、こけしを製作する様になった。また陳野原和紀からも指導を受け「何かあれば、俺があなたの師匠と言えばいいから」とまで気に入られた。こけしは旅館経営の傍ら、少しづつ作られたので殆ど市場には出していないが、旅館を辞める46才まで18年間作り続けた。旅館を辞めるのを機に轆轤は処分したのでこれ以降こけしは製作していない。平成7年に福島市で「そば処 高山」を開店。会津の蕎麦粉を使用した十割蕎麦は、県外からのファンも多いという。

渡辺賢一

渡辺賢一

〔作品〕 陳野原兄弟より手ほどきを受けたが、こけしは土湯系の一般型である。製作は昭和50年頃から平成7年頃までの約18年間であり、専業ではなかったので製作本数は多くない。
土湯系としては癖の少ない素直な作風であった。

〔右より 18.5cm (昭和54年頃)、21.0cm(昭和51年7月)(中根巌)〕
〔右より 18.5cm (昭和54年頃)、21.0cm(昭和51年7月)(中根巌)〕

系統〕 土湯系

 

[`evernote` not found]