村木せつ

村木せつ(むらきせつ:1916~)

系統:蔵王高湯系

師匠:斎藤源吉の見取り

弟子:

〔人物〕大正5年2月11日、新潟県南蒲原郡田上に生まれる。戸籍表記は節子。夫の村上哲雄は陸軍将校で仙台の参謀本部に勤務した。仙台で終戦を迎え、鶴岡市元曲師町に転居した。せつは娘時代から絵画や彫刻に興味を持ち、戦後になってまず板彫りをやっていたが仙台第一民芸の小泉社長に新型こけしの描彩を依頼され、職人たちの木地に描彩を行った。その職人の一人に蔵王高湯緑屋で斎藤源吉の弟子鈴木竹志がいた。そうした縁故からせつは伝統こけしにも興味を持ち、斎藤源吉の元をたびたび訪れて蔵王高湯の伝統型を描彩するようになった。当初三年ほどは鈴木竹志の木地に描いていたが、竹志がスキーで怪我をしたので木地をやめたことから、以後鳴子の柿沢是隆、鶴岡の秋山一雄に木地を依頼して描彩を行った。
昭和33年頃からいづめこ人形や御殿毬の製作も始めたが、そうした郷土人形の作家として有名になった。
その後の消息は不明。
 

〔作品〕当初、斎藤源吉に倣って鈴木武志の木地に下掲のような蔵王高湯緑屋の様式に従ったこけしを製作していた。


〔18.0cm(昭和30年頃)(高井佐寿)〕

 〔伝統〕蔵王高湯系

 

〔参考〕

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