佐藤賢治

佐藤賢治(さとうけんじ:1890~1968)

系統:遠刈田系

師匠:佐藤半治

弟子:佐藤幸治/加納伝三郎/海谷吉右衛門

〔人物〕明治13年9月25日、仙台市東五番丁1の木地業佐藤半治、えんの二男に生まれる。仙台で一番古い木地師の家系で、父半治について木地を修業した。元来横木挽きが専門で、主として家具の部品等を挽いた。
遺族の話では賢治の父は仙台藩御抱木地師の村上信太郎というが、この人については資料は残っておらず詳らかではない。
大正元年ころ青根の白川久蔵が一年間程職人をした。海谷吉右衛門が弟子となったのは彼が来仙した大正6年以後であるが、加納伝三郎の入門はそれより古く加納正八の入門は昭和になってからであろう。養子の幸治は直系の弟子である。
賢治の名は昭和11年〈 木形子異報・11〉で紹介されたが、写真紹介は昭和13年〈木形子・6〉が最初で、〈こけしと作者〉にも2本掲載された。元来横木専門でこけし等の小物を挽く木地師ではなかったが、昭和10年代のこけしブームに際し、すすめられてこけしの木地を挽いた。
描彩は最初養子幸治の姪相沢美代子が行なっていたようであるが、美代子が昭和14年に東京に出た以降は、養子幸治が描いたり、他の女性描彩者に頼んでいたようである。
昭和43年4月21日、仙台市東七番丁126で没、行年79歳。
 
〔作品〕下掲2本は〈こけしと作者〉に掲載された写真で、「頭の平べったい作り付け、さらに角ばった嵌め込みも作る。描彩は姪の手になり、古飯坂に似た胴模様を描く」と解説されている。姪の手になりとあるが、賢治の姪ではなく養子幸治の姪、相沢美代子の描彩であった。


〈こけしと作者〉に写真紹介された佐藤賢治7寸 右は作り付け

下記は小野洸旧蔵の佐藤賢治であるが、これも相沢美代子の描彩。ただし相沢美代子は昭和14年秋に東京に出たので、美代子の描彩はこの時期までである。

〔18.4cm(昭和13年)(小野洸旧蔵)〕 木地は佐藤賢治
〔18.4cm(昭和13年)(小野洸旧蔵)〕 木地は佐藤賢治 描彩は相沢美代子

相沢美代子が上京した後は、佐藤賢治、幸治名義のこけしの描彩は幸治あるいは別の女性描彩者が担当したといわれている。 
下掲は戦後の佐藤賢治名義のこけし、木地は佐藤賢治の工房、描彩は女性描彩者による遠刈田風の描彩と思われる。


〔21.2cm(昭和28年)(高井佐寿)〕

〔伝統〕遠刈田系(仙台一般型) 

〔参考〕

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