阿保六知秀

阿保六知秀(あぼむちひで:1950~)

系統:津軽系

師匠:佐藤善二

弟子:阿保金光/阿保正文

〔人物〕昭和25年4月14日、青森県黒石市大字花巻に生まれる。
現在も同所で阿保こけしやを構え、息子の正文とともに、こけしや干支人形などを製作する。
昭和40年黒石市東英中学校3年の時に佐藤善二が指導するこけしクラブに入部した。このクラブは六知秀の代が初代で、後に弟の金光も入部した。
卒業後の昭和41年4月より6年間佐藤善二について住み込みで木地修業を行い、その後昭和52年春まで通いで働いた。修業当初は、孫の手の頭やずぐり、オートメーションの機械でりんごなどの小さな部品などを製作した。
温湯こけしの祖・盛秀太郎はあぐらをかいて座ってロクロに向かったが、弟子の善二は秀太郎から独立してから他の工房を参考に椅子に座ってロクロに向かうようになった。従って善二の弟子たちも椅子に座ってロクロに向かっている。
昭和43年2月には鹿間時夫の依頼で佐藤善二が佐藤伊太郎型を製作するようになり、以後弟子の小島俊幸阿保六知秀も伊太郎型を作るようになった。昭和44年4月より幸兵衛型を作る〈こけし辞典〉。
〈カメイ伝統こけし工人録〉では昭和44年9月よりこけし製作となっているが、製作開始は昭和42年頃である。
昭和54年9月30日に結婚し、昭和55年に長女、昭和58年に正文、昭和61年に二女が誕生した。
独立開業当初は近隣の旅館や弘前、青森の旅館にこけしを置いた。開業祝いなどで受注製作もすぐに始まった。現在は増築して木取りなどできる製作所があるが、当時は入ってすぐ工房になっていた。
六知秀の父も大工であったことから、母も材木を扱い、六知秀の木取りなどを手伝っていた。
兄弟弟子の小島俊幸は阿保の1年先輩にあたり、笹森淳一は通いの最後の2年ほど修業期間が重なる。
弟子に弟・金光、長男・正文がいる。金光は大工をしていたが、建築現場の事故で怪我をしたことを機に六知秀を手伝うようになり、平成15年頃に独立開業した。
六知秀は近年では、平成23年11月に東京・高円寺のイベント「高円寺フェス」でトークイベントと描彩実演を行ったほか、平成24年6月・11月に東京・巣鴨のとげぬき地蔵尊高岩寺で実演即売を行った。

阿保六知秀

阿保六知秀(平成26年5月21日)

〔作品〕   初期のこけしは佐藤善二の影響が強く泥臭い味わいのあるもので、次第に切れのあるこけしとなった。
各種復元に取り組むほか、黒目の大きな本人型の着流しこけしなどを製作する。

[18.3cm、18.4cm(昭和43年8月)(橋本正明)〕 伊太郎型
[18.3cm、18.4cm(昭和43年8月)(橋本正明)〕 伊太郎型
左は〈こけし辞典〉に掲載されたもの


〔21.5cm(平成20年)(伊勢こけし会)〕 第108回伊勢こけし会定期頒布

〔伝統〕  津軽系温湯亜系。

〔参考〕

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