柴田鉄蔵

柴田鉄蔵(しばたてつぞう:1899~1960)

系統:木地山系

師匠:小椋泰一郎

弟子:柴田良二

〔人物〕
明治32年3月21日、秋田県雄勝郡三梨村三梨字清水川柴田市太郎・キクの四男に生まる。
18歳より川連村大館の小椋泰一郎の弟子となって木地を修業、年期明け後独立開業した。
大正15年大館の古関吉五郎長女ナミエと結婚、昭和8年長兄茂一の家より分家した。

〈こけし異報〉時代に名前は知られたが、写真によるこけしの紹介は〈こけしと作者)が最初である。小椋慶次郎の次男良二(昭和19年生まれ)を養子にした。
戦後もこけしを製作したが、昭和35年4月1日稲川町にて没した。行年62歳。


柴田鉄蔵 昭和16年8月 撮影:加藤文成

柴田鉄蔵 昭和31年8月 大浦泰英撮影
柴田鉄蔵 昭和31年8月 大浦泰英撮影

〔作品〕
戦前の作品は、〈こけしと作者〉〈古計志加々美〉で紹介されているように、眉なし一筆目の茫洋とした表情である。
首の下、肩が鋭角的な独特の形状をしている。鳴子周辺で古い時代に作られたこけしの肩との類縁を指摘する人もいる。泰一郎はあまりこの肩の形状のものを作らないので何からの継承なのかはっきりはしない。
胴模様は写実風の菊模様と、前垂に菊模様を併用した型の二種類が多い。大寸物には眉を描き、複雑な胴模様を描いたものもある。
一般的に泰一郎ほどの完成度はないが、鉄蔵ならではのおおらかな魅力がある。戦後の作品は眼が丸くなり、表情はやや平板になった。

〔30.3cm(昭和10年頃)(橋本正明)〕

〔30.3cm(昭和10年頃)(橋本正明)〕

〔15.7cm(昭和14年頃)(鈴木康郎)〕

〔15.7cm(昭和14年頃)(鈴木康郎)〕

〔15cm(昭和32年)、12.6cm(昭和10年代?)(沼倉孝彦蔵)〕

〔15cm(昭和32年)、12.6cm(昭和10年代?)(沼倉孝彦蔵)〕

〔30.5cm(昭和15年)(沼倉孝彦蔵)〕

〔30.5cm(昭和15年)(沼倉孝彦蔵)〕

〔24.5cm(昭和30年頃)(高井佐寿)〕

〔24.5cm(昭和30年頃)(高井佐寿)〕

系統
木地山系。小椋泰一郎の系譜。鉄蔵の戦前のこけしのヌーボーとした表情は人気が高く、その後阿部平四郎、陽子、木の実はじめ何人かの工人たちによって復元継承されている。鉄蔵の養子良二も平成22年頃から本格的に継続してこけしを作るようになったが、もちろん良二も鉄蔵の型を継承し、製作している。

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