菊籬

古作並こけし頭部

古作並こけし頭部 

陶淵明の有名な「飲酒 第五首 悠然望南山」に因んで描かれる菊花と籬の模様。

結廬在人境 而無車馬喧
問君何能爾 心遠地自偏
采菊東籬下 悠然見南山
山気日夕佳 飛鳥相与還
此中有真意 欲辨已忘言

菊籬文様は衣装・装束、漆器、陶器などの図案に好んで用いられた。

山形の小林一家が描く花の胴模様は、従来、桜か紅花か梅か菊かと議論が分かれ、何の花か特定できなかった。工人によっても、倉吉(桜)、清蔵(梅)、栄蔵(菊)、吉兵衛(梅)、吉三郎(梅)と諸説があった。
ところが昭和50年代になって、一本の古いこけしが世に現れた。それは、明治39年11月1日から25日まで京都市岡崎町博覧会館で開催された「こども博覧会」の記念号として明治40年3月に発行された京都市教育会会報の写真に掲載されている作並系の古作である。作者は今野新四郎ではないかといわれている。このこけしによって山形系の花模様のルーツは歴然とした。この作並系の古作の胴模様には、菊花と籬の文様が描かれていた。山形で花の根元に描かれる井桁状の模様は、この籬の模様が簡略化されたものであることが分かった。すなわち、山形のこけしの胴に描かれる花は菊であり、菊籬が文様のルーツだったのである。

菊籬の胴模様
菊籬の胴模様

明治20年前後に、青根・遠刈田に足踏みの一人挽きが導入されたとき、各産地の工人は青根・遠刈田に出向いて、この新技術を習得した。これが契機となって各地の技法や描法の交流が起こった。作並からは槻田与左衛門が参加し、槻田によって桜崩しの描法が伝えられたと言われている。
桜崩しと呼ばれた模様の原型はおそらく菊籬であり、斜めに描かれる菊を桜と見たのであろう。
佐藤茂吉もこの時点で槻田と接触して、下図の胴模様を描くようになったと思われる。
模様は後の遠刈田の桜崩しであり、胴下部には籬がちゃんと描かれている。


〔27.8cm(昭和14年10月)(鈴木康郎)〕

参考: 倉治描く、花は桜か、紅花か?

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