カテゴリー別アーカイブ: 木地山系

鈴木幸太郎

鈴木幸太郎_1

〔人物〕   大正11年6月20日、鈴木国蔵(父)の一人息子として、秋田県雄勝郡湯沢町(現湯沢市)御囲地(おかち)町に生まれる。 生後間もなく父と共に下新地(現平清水新町)へ映り、昭和13年高等小学校卒業後、父の仕事を手… 続きを読む

鈴木国蔵

〔人物〕 明治30年8月29日秋田県雄勝郡湯沢町御囲地の写真師鈴木勝治の長男に生まれる。木地は17歳より約1年間能代工業講習所で学んだ。講師は野田久之助であった。湯沢の松江謙太郎は弟弟子である。その後、各地を転々として木… 続きを読む

小椋久太郎

〔人物〕 明治39年7月30日、秋田県雄勝郡皆瀬村川向(木地山)の木地師小椋久四郎、キクの二男に生まれる。留三は実弟、石蔵は叔父、正治は従兄にあたる。 稲庭の母方の祖父栗原久之助の家に寄宿して、稲庭尋常小学校に通学した。… 続きを読む

小椋啓太郎

〔人物〕 明治30年7月19日、秋田県雄勝郡大館の木地業小椋運治の長男に生まれる。祖父勇右衛門は吉左衛門家から養子に入った人で、その子である運治は米吉、久四郎と従兄弟にあたる。小椋慶次郎は次弟、小椋泰一郎は運治の兄養治の… 続きを読む

佐藤秀一(木地山)

〔人物〕  昭和2年8月7日、秋田県川連町大館の佐藤兼一・利恵の長男に生まれる。古関久太郎の工場に勤め、見取りで椀挽きを習得した。古関久太郎はもともと小椋米吉の弟子で、のち塗物の親方になった人。 その後、秋田県大湯の奈良… 続きを読む

佐藤兼一

〔人物〕 明治38年4月20日、秋田県川連大館八右衛門屋敷の佐藤留治、よしのの長男に生まれる。父の留治は椀挽き専門の木地師であったがこけし作者ではない。母よしのは小椋養治の長女で、小椋泰一郎の妹にあたる。 大正6年13歳… 続きを読む

小椋正治

〔人物〕 明治25年6月28日、秋田県皆瀬木地山の小椋庄太郎・リンの二男に生まれる。父庄太郎(慶応元年1月16日生)は小椋徳右衛門の二男で、カネ、久四郎、石蔵の兄にあたる。庄太郎は、一時稲庭村に養子に出たが明治23年に木… 続きを読む

阿部平四郎

〔人物〕   昭和4年3月10日、秋田県川連の塗物師阿部常輔の五男に生まれる。11人兄弟の男の末っ子だった。江戸時代に中山平より来て、川連に始めて立木挽きを伝えた寺崎円吉は平四郎の祖先にあたるという。… 続きを読む

阿部木の実

〔人物〕  昭和37年4月18日、秋田県川連のこけし工人阿部平四郎・陽子の長女に生まれる。小さい時から父平四郎の仕事を見ているのが好きで、2歳ころから描彩のまねごとを始めた。昭和42年頃からの木の実描彩作が蒐集家の手に渡… 続きを読む

高橋雄司

〔人物〕 昭和9年11月12日、川連久保の木地業高橋兵治郎の長男に生まれる。小学校時代より父兵治郎の仕事を見ながら木地挽きを覚え、中学の時にはすでに金の稼げる技術に到達していた。 昭和25年中学を卒業すると木地業に従事、… 続きを読む