佐藤応助

戸籍表記 佐藤應助。飯坂八幡屋の当主。明治23年12月三女くらに弥治郎の毛利丈助四男栄治が婿に入った。すなわち応助は佐藤栄治の義父にあたる。義太夫をやったり、踊りの師匠などをした。八幡屋の屋号は応助が飯坂の村社八幡神社の… 続きを読む

大森久一

〔人物〕  昭和7年11月30日、土木業大森久三郎長男として、白石市に生まる。昭和22年尋常高等小学校を卒業後、山仕事や農業の手伝いをしたが、地元には仕事が少ないので、昭和28年小野幸三郎商店に入り、木地挽きの修業を始め… 続きを読む

小倉嘉吉

宮城県刈田郡福岡村弥治郎のこけし工人。ただし作品は未確認である。 慶応元年5月7日、弥治郎北73番地の農業木地業小倉嘉蔵、よしの長男に生まれる。父嘉蔵は嘉七、くまの長男。小倉家は代々木地師で、享保16年の山之合判に記載さ… 続きを読む

平馬虎三

〔人物〕大正11年5月4日、宮城県登米郡中田町(現在、登米市中田町)の農業平馬徳之進、とせよの長男として生まれた。本名は平馬利治(へいまとしじ)。こけしと川柳には雅号の虎三を用いるという。生来、手先が器用なので表具師もあ… 続きを読む

矢口権佐久

明治34年ころ山形にて生まれた。蔵王高湯の岡崎長次郎について木地を習得した。大正12年春から13年春までと、大正14年2月から10月までの二回岡崎長次郎方で職人として働いた。山形の山川源吉、山寺の佐藤正雄は兄弟弟子である… 続きを読む

大葉亀之進

〔人物〕  明治37 年1月20日、宮城県刈田郡七ヶ宿村稲子の林業大葉与一郎・やす長男として生まれる。大正7年・8年の2冬に宮城縣の後援・補助金により開かれた稲子木地講習会で佐藤松之進より講習を受け修業した。こ… 続きを読む

高橋松子

〔人物〕大正9年2月2日、宮城県玉造郡鳴子の高橋盛、きくゑの長女に生まれる。戸籍上の名前はまつを、生年月日は届出日の2月7日になっている。高橋盛雄は長兄、遊佐福寿は弟にあたる。 鳴子高等小学校を卒業後、兄盛雄とともに横須… 続きを読む

高橋通

〔人物〕 昭和28年1月13日、福島県原ノ町の役場勤務高橋佳隆、昌子の長男に生まれる。父佳隆は昭和29年には上京して、京王帝都電鉄に入社した。一家は京王帝都電鉄の寮に移った。昭和33年に妹の美恵子が生まれた。昭和35年一… 続きを読む

高橋直蔵

天保4年5月23日、宮城県玉造郡鳴子の高橋直四郎、久の長男に生まれる。高橋家は初代佐左衛門、二代佑左衛門、佑左衛門の一人娘久に入り婿となった三代直四郎と続いた漆器商であった。父直四郎は若くして没したため、久に高橋万右衛門… 続きを読む

佐久間弥七

文政5年、奥州信夫郡土湯村の木地業稲荷屋佐久間亀五郎、キジの長男に生まれた。西屋の養子に入った西山濱吉(二男)は弟である。幼少時より父につき木地修業。父創案のでこに工夫し、首の回る弥七でこを作った。15歳で父に死別し、母… 続きを読む