菅野実(かんのみのる:1921~1998)
系統:遠刈田系
師匠:海谷吉右衛門/朝倉英次
弟子:
〔人物〕大正10年3月15日、仙台市川内大工町の国鉄職員菅野千代吉、とめの二男に生まれた。一家は小学校6年生の時、岩手県盛岡市に移住した。昭和13年3月盛岡の旧制中学校を卒業し、国鉄盛岡保線区に勤務した。昭和17年に右肢障害により国鉄を退職した。
昭和21年に仙台の民声新報社に入社し、系列会社北辰工業(株)の事務、印刷、木工旋盤、ロクロ等の仕事を担当した。昭和22年に同社で海谷吉右衛門を職人として招聘したので、菅野実は海谷吉右衛門について約1年6ヵ月木地の指導を受けた。兄弟弟子に坂口某がいた。
海谷の次には朝倉英次が招かれ、菅野実は朝倉とともに仕事を続けた。こけし製作にあたっては朝倉英次から影響が大きい。
昭和25年に、仙台市東九番町に居を移し、独立して玩具製造を行った。こけし以外に、郷土玩具の木下駒、蘇民将来なども作った。
平成10年3月25日没、行年78歳。
〔作品〕こけしは朝倉英次の影響があるが、むしろ菅野実が工夫した遠刈田様式の一般型こけしである。
〔伝統〕遠刈田系一般型
〔参考〕