阿部広史

〔人物〕 明治31年8月18日土湯の上ノ町16 阿部金蔵・ミヱの長男に生まれる。戸籍表記は廣史。金蔵の家は、上の松屋と呼ばれ旅籠を本業としていたが、明治後期には木地と炭焼きを専業とするようになっていた。広史は大正3年17… 続きを読む

渡辺角治

〔人物〕明治10年4月12日、福島県信夫郡土湯村字上ノ町の渡辺作蔵・クラの二男に生まれる。戸籍表記は渡邊。父作蔵は佐久間弥七の二男で浅之助の弟、渡辺源五郎の孫クラの婿となった。角治の長兄に久吉がおり、久吉は膽澤為次郎につ… 続きを読む

小林英子

〔人物〕 昭和21年10月19日、岩手県和賀郡湯田の小林英一の二女に生まれる。小林辻右衛門は祖父に当たる。弘前大学教育学部卒業。 湯田の小林辻右衛門の一族は、湯田を離れて生活していたものも多かったが、正月や盆の季節には湯… 続きを読む

阿部金治郎

〔人物〕株式会社丸金の創業者で郷土玩具・民芸品・食品の製造販売を行なった。 明治21年4月6日、立川町狩川(現在は、東田川郡庄内町狩川)にて生まれた。 大正7年に鶴岡に出て材木商阿部金治郎商店を起業した。大正8年の大洪水… 続きを読む

伊藤蝠堂

〔人物〕明治38年8月20日、三重県富田町古川で、『酒吉』といわれる酒造を業とする素封家の家庭に生まれた。本名は伊藤吉兵衛。旧制富田中学校の第20回生で丹羽文雄と同級、法政大学法科に進学、卒業時就職に際しては、面接官から… 続きを読む

浅虫

青森県青森市浅虫。東北地方で有名な温泉地の一つ。東北本線浅虫駅下車。一方を海に面し、三方を山に囲まれているため、木地業も盛んに行なわれた。最も吉いこけし作者と伝えられるのは、温 湯の斎藤宰兵衛の祖父の姉に婿養子として入っ… 続きを読む

佐藤吉郎平

〔人物〕 二代目佐藤吉郎平。 初代佐藤吉郎平以後、吉松(芳松)ー円吉ー友吉ー茂七と続き、茂七の長男に生まれたのが二代目吉郎平である。 二代目佐藤吉郎平は、明治10年11月15日、佐藤茂七の長男として遠刈田新地に生まれた。… 続きを読む

南條九十治

〈鴻・3〉や深沢要遺稿集〈こけし手帖・46〉に、山形市旅籠町出身で作並で木地を挽いた南條九十治という木地屋がいて、小林倉治を養子にしたとあり、倉治は山形に帰ってから小林姓に戻したと書かれている。 また、小林倉吉が書いた「… 続きを読む

奥山広三

〔人物〕    明治38年10月24日、山形県西村山郡河北町谷地字松橋の木地業奥山安治四男に生まれる。8人兄弟の末弟である。戸籍表記は廣三。父安治は山形の小林倉治について修業した人。 当時安… 続きを読む

清野武治

〔人物〕昭和12年8月24日、福島市の木地業清野倉吉の六男に生まれる。実家が木地業であったため若い頃からある程度木地は挽けたが、昭和60年頃にこけしの製作を志すようになって自分流に作り始めた。平成9年に土湯の今泉源治の手… 続きを読む