宮城県横川(現在の刈田郡七ヶ宿町横川)の.小椋栄三郎の弟。弥治郎の佐藤東吉、なみの婿となり別家した。熊治夫妻の入った家は弥治郎の佐藤春治(天保8年8月22日没)が天明の飢饉の時に米沢へ去り、再び弥治郎へもどってきて建てた… 続きを読む
菊地孝太郎

〔人物〕明治28年1月29日、山形県に生まる。大宮儀七、ユキの子。6歳のとき青根の木地業菊地茂平、きよの養子となった。義父の茂平は中年になってから青根の佐藤久吉の弟子となり、茶筒、盆などを挽いた工人であった。 明治40年… 続きを読む
佐藤今朝吉

〔人物〕 昭和5年3月1日、下駄製造業佐藤惣太郎次男として遠刈田温泉に生まる。昭和18年、尋常高等小学校卒業と共に、徴用されて東京の工場で働き、終戦とともに帰郷した。家業の下駄屋の職人をしていたが、新型こけしのブームとな… 続きを読む
田中緑紅

大正から昭和にかけての京都の郷土史家。明治24年1月12日に生まれた。本名は田中俊次。父親は医師で、孤児院平安徳義会を開き、児童福祉事業の先駆者として、また社会事業家として知られる田中泰輔。緑紅は医学の道には進まず、京都… 続きを読む
沼倉孝彦

〔人物〕 昭和28年3月15日、旧秋田県雄勝郡雄勝町の父・沼倉孝造(神職)、毋・昭子長男として生まれる。 昭和46年秋田県立湯沢高等学校卒業後、東京都文京区で8年間会社勤務ののち帰郷、湯沢市内の印刷会社にて写真撮影とグ… 続きを読む