佐藤熊治(さとうくまじ:生年不明~)
系統:弥治郎系, 木地業, 歴史
師匠:
弟子:
宮城県横川(現在の刈田郡七ヶ宿町横川)の.小椋栄三郎の弟。弥治郎の佐藤東吉、なみの婿となり別家した。熊治夫妻の入った家は弥治郎の佐藤春治(天保8年8月22日没)が天明の飢饉の時に米沢へ去り、再び弥治郎へもどってきて建てたものであるが、春治の没後家督がいなくなり空き家になっていた。熊治夫婦はこの家でりき、熊太郎の二人の子供をもうけたが、明治2年の凶作で暮らしに困り、子供を残して白石片倉家中と共に北海道へ渡った。二人の子供は義兄東吉に引き取られ、再び空き家になった家には鎌先よりきた佐藤太蔵が入った。熊太郎は後年栄治と改名して東吉の養子となり、太蔵の養子幸太と共に弥治郎こけしの完成者となった。即ち、熊治は弥治郎の佐藤伝内、勘内の祖父に当たる。
熊治の北海道移動後の消息は不明である。なお西田峯吉調査〈こけし・20〉(川口貫一郎編)によれば、及川吉三は明治30年頃岩谷堂の木地工場で働いていた白石生まれの佐藤熊治に指導を受けたという。弥治郎の熊治と同一人か否かは不明である。