庄内大山(現在の鶴岡市大山)の岡村豊作が所蔵していた明治32年の「木地寸形記」、表紙には「明治丗二年 木地寸形記 亥旧五月吉日」と書かれている。東長沢の長作文書(明治19年)より時代は下るが,この頃庄内地方で作られた弁当升・高坏・茶壺・あんまとり等の製品の他,木地玩具の鳴り独楽・傘独楽・ちり独楽の寸法が絵入りで記載されている、寸法図のページは総12。現在は孫の岡村安雄が保管している。
岡村豊作は明治13年生まれ、22歳より高橋直広について木地を修業したというから、この寸形記は豊作が入門以前に作成されたものである。作成者の署名が無いから、確かなことは分からないが、高橋直広は会津あるいは箱根で木地を学び、庄内地震(明治27年)の後に明治34年ころに酒田で開業したといわれているから、開業以前に覚えとして直広が作成しておいたものかもしれない。貴重な史料である。
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上図のように、製品の多くは小物の立木製品であり、木地玩具も相当数記載されている。もし、作成者が高橋直広であるとするなら、この製品構成をみると直広は会津というより、箱根で修業した可能性が高い。
この寸形記にはこけしは記載されていない。ただ、下図の下段はおそらく人形笛であろう。今日作られる木地玩具の人形笛と形はよく似ている。