岩見房吉(いわみふさきち:1882~)
系統:土湯系
師匠:渡邉久吉
弟子:
〔人物〕 明治15年5月21日、福島県信夫郡土湯村の山根屋渡邉作蔵、クラの三男に生まれる。久吉は長兄、飯坂鯖湖に移った角治は次兄に当たる。
8歳で土湯村尋常小学校に入学、尋常科3年、補習科3年を修め、14歳より父作蔵とともに養蚕や畑、山仕事に従事した。その合間に15歳より24歳まで木地の挽き方を兄久吉から習った。主にこけしの木地を挽かされた。
明治40年7月26歳のとき、福島字置賜町の荒物商加賀屋の岩見喜助と養子縁組、同時に喜助養女ミイと結婚した。
福島では清涼飲料工業を始めて成功した。土橋慶三が訪問し〈こけし手帖・54〉の作蔵に関する稿中で岩見房吉について触れている。若い頃は叔父佐久間浅之助、父作蔵の影響を受け、日本外史、十八史略、四書などの漢籍や、福沢諭吉の西洋事情、文明論之概略などを読んだと言う。
没年月日は不明。
岩見房吉 昭和39年頃
〔作品〕 土湯時代の作品は残っていない。90歳を過ぎてから渡辺恒彦の木地に描彩したものが残っている。
作蔵風ではあるが土湯時代の面影をどの程度残しているかわからない。
〔16.65cm(昭和47年頃)(西田記念館)〕 西田峯吉コレクション 木地は渡辺恒彦
〔系統〕 土湯系湊屋系列