阿部薫(あべかおる:1945~)
系統:肘折系
師匠:奥山庫治からの見取り
弟子:
〔人物〕 昭和20年10月26日、天童市大字高木の農業、阿部健司・みわの次男に生まれる。昭和39年3月山形県立村山農業高等学校農業科を卒業後、大手上場会社に就職した。昭和43年11月神尾豊子と結婚。豊子は、神尾長三郎・長八の直系であり、武田卯三郎は祖父、信吉・正志は叔父にあたる。この頃よりこけしの蒐集を始めており、数千本のコレクションを別邸のこけし部屋に並べている。
40才の時事情があり地元の石油をメインに取り扱う商社に転職し、以後65歳で退職するまで勤め上げた。
こけしを集める中、特に肘折温泉の奥山庫治の木地師魂と飾らぬ人間性に魅かれ頻繁に訪問するようになった。酒好きな庫治は、阿部薫の訪問を待ちかねて昼から一升空ける事も度々であったという。いつも話題は、鉋の事、木地製品の事、肘折の風土や歴史の事で、「それは楽しい思い出として今も残っている」と薫は語っている。
そうした付き合いを続ける中、昭和46年頃どちらからとも無く木地を練習してみようという事になり、肘折を訪ねるたびに、木地練習をすることとなった。通いばかりでは限界があると、昭和47年10月庫治より轆轤と鉋類を譲り受け、自宅で本格的にこけしの製作を行うようになった。ただし、「庫治の弟子は鈴木征一一人で、自分は庫治からの見取り」と薫自身は語っている。こけしの他に、けん玉・茶筒・打出の小槌等の木地玩具も作る。
〔作品〕 阿部薫のこけしの、文献による紹介は、高井佐寿著〈伝統工芸 東北のこけし〉(平成20年7月)が最初である。こけし会では、平成21年11月の名古屋こけし会の定期頒布、同年12月の伊勢こけし会の頒布が早い。〈木でこ・196〉(平成21年11月8日発行)に高井佐寿による新作者紹介がある。下掲は〈木でこ・196〉で紹介された旧作2本、奥山庫治の作風にしたがっている。
〔右より 31.5cm(昭和55年頃)、32.4cm(平成19年2月)(高井佐寿)〕
また平成28年5月にコケーシカ鎌倉でも販売され、6月には伊勢こけし会で定期頒布されている。これらは、何れも奥山庫治の作風を基調とした阿部薫本人型であった。大阪こけし教室として平成28年7月例会では、阿部薫にとって初めての復元作となる古肘折にチャレンジした。
〔右より 蓋付きえじこ(昭和56年5月)、24.2cm(平成21年11月)名古屋頒布、
23.6cm(平成28年1月)、15.0cm(平成28年1月)、19.6cm(平成28年5月)塚越手古肘折、21.2cm(平成28年7月)大阪こけし教室お土産こけし・谷川手古肘折(中根巌)〕
肘折創始のころ、柿崎伝蔵が作ったであろう鳴子様式や、柿崎藤五郎が伝えたであろう遠刈田様式と混交したものなどを空想の世界で思い描きながら作るこけしもある。
〔右より 19.7cm、16.7cm、17.0cm(平成29年12月)(橋本正明)〕
上掲右端および下掲二本はまだ遠刈田様式が移入される前という想定であろう。
〔右より 19.3cm、19.9cm(平成29年12月)(橋本正明)〕
〔系統〕 肘折系
〔参考〕