小倉嘉三郎(おぐらかさぶろう:1884~1956)
系統:弥治郎系
師匠:小倉嘉吉
弟子:小倉篤/佐藤誠/大野栄治
〔人物〕明治17年4月12日、宮城県刈田郡福岡村大字八宮字弥治郎の農業兼木地業小倉嘉吉、志けの長男に生まる。母志けは同村日下清蔵の六女。弟に精助、朝吉、茂松がある。精助は七ヶ宿の高橋長太郎家の婿養子となった。
明治37年徴兵検査を受け、仙台の師団に入営、日露戦争に出征して、明治39年帰郷した。
明治37年10月に八宮上屋敷の日下倉吉の七女けさよと結婚、はつ、誠、ゆき江、よみし、 嘉一、いせ、篤、留治、勉の五男四女をもうけた。誠、嘉一、いせは幼くして亡くなり、長女はつは嘉三郎の弟子大野栄治の嫁となり、留治は斎藤家へ、勉は丹野家へ養子に行って木地を離れた。三男の篤が父の跡をつぎ木地業についた。
田地十町歩、畠五、六反の物もちで、米は百俵もとり、もっぱら農業に精を出し、小倉家の木地業は弟の茂松にまかせた。
明治43年佐藤誠が、大正6年大野栄治が弟子入りした。誠、栄治は茂松から木地の指導を受けた。大正10年に誠が、11年に栄治がそれぞれ入営した。
栄治は除隊後またもどり、大正13年以後昭和3年まで嘉三郎名儀でこけしを作って、収集家に発送していた。
昭和4年栄治夫婦が北海道に去ったので、嘉三郎自身がこけしを挽くようになった。茂松は大正10年病死していたし、精助、朝吉は転出していたので、小倉家の木地業は昭和4年以降嘉三郎がもっぱら行うこととなった。
昭和10年代、小寸物は妻が鎌先まで持って行って商い、収集家にも大寸物をよく発送した。三男篤は昭和12年頃より木地の習得を始めた。昭和6年より14年まで弥治郎の区長、17年5月より21年5月まで村会議員、牧野組合長、20年より21年まで区長を務めた。
終戦により農地解放が行われ、二女ゆきえの婿小倉今朝雄には田地山林の一部をゆずった。今朝雄と丹野勉の家は小倉家の新宅といわれる。昭和25年中風にかかり、昭和31年7月29日に没した。行年73歳。一衆院寿徳居士。
晩年の愛称は「ひなだのじんつぁん」だった。性きわめて温厚篤実、話好きで人の世話もよくし、村の名望家で信望を一身に集めた。農民としてよく働いたが、こけし作りは自ら下手だと思っていて、木地挽きを他人に見せるのを好まなかった。無趣味だが酒は好んだという。
〔作品〕初期嘉三郎名義のこけしはほとんどが大野栄治が作ったものであった。〈こけし這子の話〉に小倉嘉三郎型として紹介された二本も大野栄治作のこけしである。
嘉三郎が作るようになったのは栄治が北海道へ去った昭和4年以後で、栄治の様式に合わせて作るようになった。嘉三郎自身による作は橘文策により確認され、昭和7年木形子洞から頒布された。
初期のものは梅全体を赤で描く。〈こけしの美〉〈愛こけし〉原色版は復活初作に近い。
下掲の米浪旧蔵、丹羽旧蔵は昭和5年頃の初期の作である。
〔右より 25.1cm(昭和5年頃)(鈴木康郎) 米浪庄弌旧蔵、30.6cm(昭和5年)(鈴木康郎) 丹羽義一旧蔵〕
下掲の右の米浪旧蔵品も上掲と同様で初期の作、梅全体を赤で描いている。左の6寸は橘文策による木形子洞頒布である。
〔 右より 29.5cm(昭和6年)(北村育夫) 米浪庄弌旧蔵、18.2cm(昭和7年)(箕輪新一) 木形子洞頒布〕
昭和8~9年になると全体に茫洋とした大らかさを感じさせる作風となる。世事に頓着しない風貌は村の名望家嘉三郎の面影でもあったろう。鹿間時夫は「おっとりした高雅で気品のある表情は、どこかフランス人形のような明るい情味すらある。」と評した。この頃になると大野栄治の形式をフォローするというよりは完全に嘉三郎独特の世界が完成されたと言える。
下掲の尺3寸は鬢の上に梅花を描いているが、これは昭和9年頃一時期の描法といわれている。昭和8~9年以降、胴に描く梅の木の部分や花の輪郭に墨書きが使われるようになる。
ぺっけと称する小寸物も良く作った。鎌先商いではこうした小寸物が好んで求められたであろう。鹿間時夫は小寸の嘉三郎も高く評価し、ロクロ模様のみの胴模様を「色彩は全体として淡く、青磁、クリムソンレークの紅、プリムローズの黄など夢幻的な効果をあげている。黒の色も濃くない。」と形容して讃えた。
〔右より 6.8cm、9.4cm、17.9cm(昭和13年頃)、15.3cm(昭和7年頃)(目黒一三)〕
「ひなだのじんつぁん」と呼ばれた嘉三郎の作るこけしは、弥治郎旧家の縁側の、日溜まりの中に佇んでいる様な安心感を感じさせるこけしであった。このように包容力のあふれるこけしというのも珍しい。
〔系統〕 弥治郎系嘉吉系列 息子の篤が一時嘉三郎型を作った。孫の勝志もこの型を継承している。甥(高橋精助二男)の高橋精志、勝志の弟子富塚由香も嘉三郎型を作る。
〔参考〕
- 弥治郎の梅こけし 小倉嘉三郎 〈こけし手帖・46〉 東京こけし友の会
- 連載覚書・12 嘉三郎こけし 〈木の花・12〉 こけしの会