柿澤是隆(かきざわこれたか:1940~2016)
系統:鳴子系
師匠:高橋盛雄
弟子:柿澤真里子/柿澤是伸
〔人物〕 昭和15年11月10日、宮城県川渡の鮮魚業柿澤武雄の三男に生まれる。中学校卒業後鳴子高勘の高橋盛雄について木地を修業、昭和36年より二年間山形県鶴岡市で村木せつのこけしの木地を挽いた。昭和39年より46年まで遊佐福寿の工房で職人を勤め、その後独立開業した。平出友次長女眞里子と結婚、昭和49年に長男是伸が生まれた。
こけしは福寿の職人をしていた頃より作り始めていたが、本格的な製作は独立開業以降である。妻真里子、長男是伸もこけしを製作する。
平成20年代に入って体調を崩し、静養に努めた。その後やや回復してしばらくこけしの製作を行ったが、平成28年6月22日没した。行年77歳。
〔作品〕 高勘の型、すなわち勘治型、盛一家の型を作る。また勘治の姉けさのの型も作った。
日本こけし館・西田記念館の大名物高橋勘治の復元を始め、勘治作と同定されている古こけし、また盛一家と呼ばれる古こけし群を研究製作した。
原となるものを凝視する力は鋭く、形態を超えて本質に迫ろうという製作の姿勢があって、多くの成功作がある。勘治や盛一家の作風は自らの体質となった感があり、原型から離れた製作であっても、確実に高勘の伝統を強く感じさせる作風になっていた。
黄胴の勘治型も、白胴に鮮やかな楓や菊の舞う盛一家の型においても、是隆のこけしは新しい時代の高勘の流れを作ったと言ってよいだろう。その作風は息子の是伸に継承された。
〔右より 27.0cm(平成12年)、23.0cm(平成16年)(橋本正明)〕
高勘の伝統的なこけしの他に、各種の新考案の木地人形「おてんば」「ずんぐり」「まげ」「夏休み」等の製作も行った。
〔系統〕 鳴子系利右衛門系列