河村音次郎

河村音次郎(かわむらおとじろう:1905~1949)

系統:鳴子系

師匠:見取り

弟子:

〔人物〕 明治38年1月19日河村辰治、リマの二男として秋田県由利郡本荘町裏尾崎町39に生まれる(〈こけし辞典〉に明治37年生まれとあるのは間違い)。旧制本荘中学校卒業後、北海道、樺太などで働き、昭和5、6年頃本荘に戻った。本荘に戻ってからは実家でクリーニング店を開業した。昭和9年に父辰治が亡くなり、昭和12年兄清太郎が出征したのち木地を続けていた辰治の弟子の北原鉄造を手伝って、余技にこけしなどを作った。所謂正規のこけし工人ではなかったが戦前の本荘のこけしの中に、音次郎が作ったものも紛れ込んでいる。現存する音次郎のこけしは少ない。
昭和17年満州に渡り、製鉄会社に事務職として勤めたが、戦後昭和21年に本荘に引き上げた。昭和24年胸部疾患のため死亡。45歳。

〔作品〕 こけしは戦前の河村清太郎や北原鉄造のものと似ている。〈こけし辞典〉で中屋惣舜は眼の描法で鑑定できるとした。点ではなく一筆目のように横に一本線で流して描いているものが音次郎だという。ただし、清太郎と同じような丸点のような眼を描いた音次郎もあり、決めてではない。また清太郎にも一本線で流したような眼を描いたものもある。 一番の決め手は前髪から後ろに向かう髪の束の中央が黒く塗りつぶされているところであろう。清太郎や鉄造のものは中央を白く残している。
昭和12~14年の一時期、しかもクリーニング店の余暇に作っただけなので製作数は少ない。

〔21.7cm(昭和12,3年)(北村育夫)、26.3cm(昭和12、3年)(鈴木康郎)〕
〔21.7cm(昭和12,3年)(北村育夫)、26.3cm(昭和12、3年)(鈴木康郎)〕


〔20.2cm(昭和12年)(ひやね)〕

〔伝統〕 鳴子系外鳴子

 

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