小林昭三(こばやししょうぞう:1942~)
系統:肘折系
師匠:小林善作
弟子:
〔人物〕 昭和17年3月1日、岩手県和賀郡湯田町湯田の木地業小林善作の三男に生まれる。学生時代より、父善作のこけし製作を見て、こけしの描彩を始め、また木地も学んだ。早稲田大学を卒業後、昭和42年3月に岩手日報社に入社した。最初の2年は一ノ関支所勤務、その後仙台、昭和47年より盛岡勤務となった。盛岡転勤に伴い、岩手県岩手郡滝沢村(現在 滝沢市)に住むようになった。
一ノ関、仙台時代は、帰郷する折に、蒐集家に頼まれてこけしの製作を行ったが、この時期の作品数は少ない。昭和42、3年の25歳~27歳のものが少し残っている。滝沢時代も仕事の合間に少しづつ作り続けたようである。
平成15年に新聞社を退職してから小岩井農場のそばに作業小屋を借り、遠刈田の佐藤英裕より轆轤一台を譲り受けて本格的にこけしを作るようになった。カメイ美術館刊の〈伝統こけし 最新工人録〉にも工人として掲載された。平成19年頃からは小林定雄の工房でこけしを作ったが、平成22年頃にこけしの製作を休止した。
湯田 小林善作の家の前 昭和42年
中央が小林昭三、右が小林善作
〔作品〕 大学から夏休みに帰郷した昭和40年夏よりこけしを作り始めた。
〔右より 23.1cm(昭和40年8月)初作、19.0cm(昭和42年8月)(中根巌)〕
右端には胴裏に「昭和40年夏休み23歳」の記入がある。
正月や夏休みに帰郷した時にこけしを作った。下掲右二本は昭和42年正月に作ったもの。左二本は昭和42年社会人になって夏休みに初めて帰郷した時の作。下掲4本はいずれも「25才」と記入があり、まだ重ね菊の花弁も筆が伸びず、描彩もぎこちない。しかし、この時期のものは初期の素朴な味わいがあり、ほのぼのとした情感を感じさせる。
〔右より 14.5cm、19.0cm(昭和42年1月3日)、24.7cm(昭和42年6月)、15.8cm(昭和42年7月16日)(橋本正明)〕25歳の署名あり
徐々に、父善作の作風を学んだ様子がうかがえる。左端の「27才」の署名があるものは、善作の一つの型を継承したもの。善作自体は丑蔵の表情に倣ったものと思われるが、それが泣きべそをかいたようなユニークな顔立ちとなった。昭三はその面描を写している。
〔右より 19.1cm(昭和43年3月)26歳の署名、24.3cm(昭和43年8月)27歳の署名(橋本正明)〕
下掲の2本は、滝沢時代の作、新聞社勤務の合間に製作したもの。
〔右より 30.3cm(昭和56年)、26.7cm(昭和63年)(高井佐寿)〕
〔系統〕 肘折系文六系列
〔参考〕
- 中根巌:石川清志・小林昭三・小林信行・藤戸一栄のこけし〈木でこ・234号〉(令和3年3月28日)
- こけし千夜一夜 第872夜:昭三のこけし