小松五平

小松五平(こまつごへい:1891~1972)

系統:鳴子系

師匠:高橋万五郎

弟子:奈良吉弥

〔人物〕 明治24年1月14日、鳴子字西原の農業上埜平治、さ登の六男として生まれた。明治40年17歳のとき、鳴子の高橋万五郎の弟子となった。明治41年、鳴子を離れて兄弟子伊藤松三郎と共に鉛に移った。師匠万五郎は他の弟子とともに1ヵ月ほど遅れて鉛に到着した。鉛では藤友旅館の仕事などを約3年間行った後、万五郎一家とともに花巻へ移った。明治44年21歳で入隊、除隊後再び花巻の万五郎のもとで約1年間御礼奉公を行った。大正元年からは、師匠を離れて台の高橋寅蔵の職人をしたり、鈴木庸吉とともに花巻、盛岡などで働いたが、やがて大沼熊治郎に誘われて鳴子へ帰り上鳴子の綿工場で1年間働いた。その後、秋山慶一郎を頼って上ノ山に行き、小松留三郎の工場の職人をした。大正3年小松徳五郎二女アサ(留三郎の妹)と結婚して入婿となった。大正6年には仙台へ出て、サクラ商会、高岡の工場などで働いた。当時仙台では、大沼健三郎、遊佐民之助、岡崎斉なども働いていたという。仙台のあとは栗原郡花山村寒湯(現在の温湯)に行って働いたが、大正10年31歳のとき観光物産開発に力 を入れていた大湯ホテルの諏訪富多氏に招かれ秋田県大湯へ移った。大湯では水車ロクロなどで木地類を挽いたが、あまり売れず十和田湖畔休屋へこけしを売りに行ったこともある。遊佐民之助も1年ほど大湯へ手伝いに来ている。以後は大湯に落ち着いてこけしもほとんど休まず作り続けていた。五平は〈こけし這子の話〉ですでに写真紹介されている。戦後も昭和30年に水車ロクロから動力に変えたほか昔のままにこけしを作っていた。昭和40年ころから体力も衰えて製作数もやや落ち、昭和43年末に中風で倒れてからはこけしの製作を中止した。大湯の奈良吉弥は最晩年の五平のために白木地を挽き、またこけしも習った。
昭和47年11月19日没、行年82歳。
晩年まで記憶ははっきりしていて経歴は詳しく語ってくれた。

小松五平 昭和43年8月

小松五平 昭和43年8月

小松五平 昭和43年8月

〔作品〕  五平のこけしは古くから知られ、〈こけし這子の話〉時代より間断なく製作を続けた。作品の年代変化も比較的少ない。
大正期の作品は、鬢を数筆で描き下ろし、各筆の上端・下端、長さなど必ずしも揃えずに描く。面描は比較的筆致太く、しっかりと描いていた。胴模様下部では花茎が複数本並び、それに葉を書き加える。この花茎の描法はおそらく万五郎の家の特徴であり、高橋寅蔵や岸正男も初期は同様の描法であった。橋本蔵の6寸は、台時代の影響からか面描にも高橋寅蔵と共通するものがある。木地の形、肩の形状や胴のそりには、まだ鳴子様式が強く残っている。胴上部の横菊もまだ水平に近い。

〔18.8cm(大正末期)(橋本正明)〕
〔18.8cm(大正中期)(橋本正明)〕

大正末期の作品は、胴の反りがほとんどなくなって直胴になり、胴上部の横菊は大きく左下がりとなる。

〔21.2cm(大正末期)(高橋五郎)〕 天江コレクション 〈こけし這子の話〉図版掲載
〔21.2cm(大正末期)(高橋五郎)〕 天江コレクション 〈こけし這子の話〉図版掲載

昭和初期のものとしては〈こけし人形図集〉(三本のうち右2本、6寸・4寸)、〈鳴子・こけし・工人〉(口絵左6寸2本)がある。この時期のこけしは筆でバサッと描いたような鬢が特色である。
直胴が多いが、くびれのあるものもある。この場合、くびれの位置は比較的下部にあり、時代が下るほど上部に移動し、戦後作が最も著しい。くびれは長谷川清一や高瀬善治の影響と言われるが、長谷川や高瀬が鳴子式の胴のそりをくびれにまで誇張したのが休屋などで定着したので、五平も作品を休屋に卸す際に逆にくびれ式を作ったのかもしれない。
表情についていえば、昭和5年から10年にかけてのこけしが筆致細く、筆勢も比較的鋭く描く。またこの時期のものは眼点と眼点の間が広がった特有の表情をしている。下掲右より二本目には、面描には下瞼のある眼を描いている。これも長谷川清一との影響関係によるものかもしれない。

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〔右より 18.8cm、18.2cm、18.0cm(鈴木康郎)(昭和初期)、16.1cm(大正末期)(鈴木康郎)〕


〔右より 12.1cm(昭和初期)(橋本永興)、12.1cm(昭和初期)(田村弘一)今井日出男旧蔵〕


〔右より 30.3cm(昭和8年頃)、30.3cm(昭和5年頃)(鈴木康郎)〕

昭和14、15年ころより頭は角ばって頭頂が平になり、大寸のこけしではフォルムが若干悪くな る。胴の菊模様は上部の横菊が時代の古いものほど左下がりになっている。またこの横菊の芯になる大きな花弁は、戦後のものは交叉しているが戦前作は交叉していない。年代変化の振幅の差が小さい五平こけしでは、昭和16年以降の戦前作と昭和20年代の戦後作とを判別することが比較的むずかしいが、この鑑別法を用いれば容易である。下掲写真のように、昭和27、8年まては胴のロクロ線は戦前同様赤のみで、それ以降は青の細いロクロ線を入れるようになる。


〔右より 24.1cm(昭和25年頃)、24.3cm(昭和32年頃)(橋本正明)〕

下掲写真の左端は最晩年の作である。


〔 右より 18.1cm(昭和39年)、17.9cm(昭和43年8月)(橋本正明)〕

系統〕 鳴子系金太郎系列

〔参考〕

 

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