坂部政次(さかべまさじ:1918~1977)
系統:山形系
師匠:小林吉太郎
弟子:坂部正博
〔人物〕大正7年6月27日、山形県村山市楯岡の車大工坂部喜久治の長男に生まれた。小学校卒業後、昭和6年から米沢市にあった戸柏五郎兵衛の下駄屋で働いたが、昭和13年父死亡に伴い小林吉太郎に弟子入りした。昭和16年応召して満州にわたり、昭和20年に帰還した。その年の10月より翌年9月まで小林友次の所で職人をしたが、その後米沢の吉田忠吉と共同で木地を挽いた。昭和23年より米沢市本町二丁目で独立、同47年、米沢市笹野に移住した。なお弟の政雄(大正11年生)も小林吉太郎の半途弟子であったが、昭和19年に死亡している。
戦後もこけしは作ったが、製作数は多くはない。
昭和47年頃に身体を壊したので、大学進学中の長男の坂部正博が家に戻り、正博に木地の指導を行った。
昭和52年5月4日没、行年60歳。
〔作品〕政次が吉太郎に弟子入りした昭和13年から16年の間に作ったこけしが現在少数残っている。昭和16年〈鴻・第9号〉で紹介されたが、面相だけを政次が描き、胴模様を吉太郎が描いたものが多く残っている。彼のこけしは吉太郎型を継承しているものの、草書体の吉太郎の味を出すに至らなかった。戦後も少数であるが製作を続けた。
〔伝統〕山形系、倉治家。小林吉太郎からの伝承。
〔参考〕