渡邊和夫

渡邊和夫(わたなべかずお:1940~2005)

系統:土湯系

師匠:

弟子:野地忠男/太田精二/岩附義正

〔人物〕昭和15年6月21日、福島県土湯温泉町上ノ町の木工業渡邊量作の長男に生まれる。祖母のハナは佐久間浅之助の三女で、明治21年生まれ、米吉と虎吉はそれぞれハナの兄と弟に当たる。
長く山仕事に従事していたが、昭和46年よりこけし製作を志し、師弟関係ではなかったが福島の佐久間芳雄(由吉の孫)より、1週間ほどロクロの手ほどきを受けた。当初は芳雄の作る由吉風のものを見ながら、こけしの製作を始めたが、昭和51年夏蒐集家の橋本正明が持参した由吉(昭和10年復活初作)を復元し、昭和52年には〈ふくしまのこけし〉取材のため土湯を訪れた蒐集家の橋元四郎平が持参した浅之助を復元した。以後浅之助型や由吉型を中心に湊屋兄弟の型を作るようになった。
湊屋の伝統を継承する工人として、やがて二代目浅之助を名乗り、野地忠男、太田精二、岩附義正などを弟子として育成した。
平成17年9月、東京のひやねで渡邊和夫と弟子たちの湊屋系展覧即売会を開催した。
平成17年12月4日不慮の事故により没した、行年66歳。

渡邉和夫 昭和52年

渡邉和夫 昭和52年

渡邉和夫

〔作品〕下掲左端の和夫作は、昭和51年夏右端の初期由吉の現物に基づいて復元したもの。これを製作するときには90歳になる祖母ハナ(由吉妹)も横にいて、「ハハァ、でかい口だなあ。米六俵も入る口だ。」と囃しながら言う。家人が気を使って「年寄りで何も分からないものですから・・。」というと、すかさずハナ婆さんは「人間は八十、九十は花盛り、鶴は千年、亀は万年」と切り替えした。さすがに佐久間兄弟の最後の生き残りだけあって見事であった。
現物による型の写しは、品格ある整った作品になった。


〔右より 佐久間由吉 27.0cm(昭和10年頃)(橋本正明)、渡邊和夫 27.2cm(昭和51年夏)(橋本正明)〕

下掲は橋元四郎平が持参した右端の浅之助をもとに復元したもの。〈ふくしまのこけし〉で紹介された。


〔右より 佐久間浅之助 21.2cm(明治中期))、渡邊和夫 21.0cm(昭和52年9月)(橋本正明)〕

その後、佐久間兄弟の粂松、七郎の型等も研究して製作したが、それぞれが見ごたえのある作品となった・

〔右より 21.0cm(昭和52年9月)浅之助型、13.8cm(昭和53年)、18.5cm(昭和57年)粂松型、20.6cm(昭和57年)七郎型〕
〔右より 21.0cm(昭和52年9月)浅之助型、13.8cm(昭和53年)、18.5cm(昭和57年)粂松型、20.6cm(昭和57年)七郎型(橋本正明)〕

〔17.7cm(昭和59年7月)(橋本正明)〕
〔17.7cm(昭和59年7月)(橋本正明)〕

下掲は本人型。浅之助型や由吉兄弟の型をずっと作り続けていたので、「自分の型も作らないと」と言って、張り切って作ったのだが、間もなく亡くなってしまった。


〔18.5cm(平成17年9月)(岩附義正)〕 本人型

系統〕土湯系湊屋系列

〔参考〕

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