佐久間芳衛

佐久間芳衛(さくまよしえ:1898~1957)

系統:土湯系

師匠:佐久間由吉

弟子:佐久間芳雄

〔人物〕明治31年2月5日、佐久間由吉、フミの長男として福島市北町に生まれた。父の由吉は土湯湊屋の長男であったが、明治29年3月渡辺作蔵の長女フミと結婚して福島に出て独立し、北町で木地工場を開設していた。芳衛は幼時より父由吉について木地を習得し、家業を助けて洋家具用の木地を挽いた。大正10年に長男の芳雄が生まれた。父由吉は昭和11年依頼によりこけしの製作を再開したが、昭和15年末ころからあまり多くこけしを作らなくなったので、芳衛が頼まれてこけしを作るようになった。戦前は昭和19年まで時に応じて作る程度で、その製作量は多くない。戦後も洋家具などの木地を挽く合間に少しづつこけしは作った。昭和32年5月13日脳溢血のため倒れ、5月24日に逝去した、行年60歳。
芳衛の写真ぎらいは有名で、下掲の写真は亡くなる半年前に蒐集家の小野洸が撮影したもので非常に珍しい。


佐久間芳衛 昭和31年11月 撮影:小野洸

〔作品〕芳衛は父由吉のこけしとは意識して違うように作ったと言っていた。由吉のカブラ頭に対して芳衛はやや丸みを帯びた頭であった。胴のロクロ模様の彩色は由吉の濃厚に対して芳衛の淡白、由吉はロクロ線に墨を使ったが、芳衛はあえて使用しなかったという。戦前作では昭和15~6年ころの初期のものによいものがある。


〔18.4cm(昭和15年)(鹿間時夫旧蔵)〕


〔30.2cm(昭和15年)(米浪庄弌旧蔵)(ひやね)〕

戦後は仕事のあいまに昭和32年まで、こけしを少しずつ作ったが、父由吉ほど多くは挽いていない。昭和27年前後の小寸ものに往々にして顔のみ由吉が描彩したものがあり、また由吉の木地に顔のみ芳衛が描彩したものがある。


〔24.5cm(昭和30年頃))(高井佐寿)〕

〔伝統〕土湯系湊屋系列

 

〔参考〕

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