佐々木金一郎(ささききんいちろう:1918~1975)
系統:津軽系
師匠:佐々木金次郎
弟子:
〔人物〕大正7年5月13日、佐々木金次郎長男として青森県南津軽郡山形村大字板留字宮下に生まる。昭和2年10歳のとき、大鰐に他出して仕事をしていた父金次郎に招かれ一家で大鰐に移った。昭和七年高等小学校卒業後、同8年より父金次郎につき木地修業、昭和10年大鰐町蔵館より、現在の大鰐町大字大鰐字前田に移り木地を続けた。
昭和13年入隊、同15年除隊、以後父と共に木地を挽き、柄杓、杓文字等の雑器や独楽、こけし等の玩具、軍需品等を作った。
ただしこけしの描彩は長谷川辰雄が専門にやり、金次郎、金一郎父子は全然描かなかった。また戦後になると妹の佐々木邸子も描彩に加わった。 昭和37年父の金次郎没後も木地業を続け、昭和39年蒐集家川上克剛の勧めによって描彩を行うようになった。
以後、父金次郎名義の古作や、長谷川辰雄描彩の古作復元に取り組み、完成度の高い復元作を発表し続けた 昭和50年1月28日没、行年58歳。
〔作品〕昭和39年以前の佐々木金一郎名義のこけしは大部分妹の佐々木邸子の描彩であった。
自ら描彩したこけしの製作は、昭和39年から亡くなるまでの約10年間に過ぎないが、本格的な津軽系こけしの作者としてこの期間活躍してくれたことはこけし界にとって大きな収穫であった。中年過ぎてからの描彩開始であること、そして誠実謹厳な性格から、こけしを書机の上において慎重に描彩を行っていた。
下掲は嶋津名義で正末昭初に長谷川辰雄が描彩したこけし(矢内健次蔵)の復元。上掲の描彩中の写真は、右端のこけしを描彩中の姿である。
〔右より 18.5cm(昭和43年8月)、9.2cm(昭和44年4月)、18.3cm(昭和43年9月)(橋本正明)〕 嶋津型
その後、昭和初期の金次郎名義辰雄描彩のこげし(下掲左2本)などの復元も行った。右端は長谷川辰雄描彩の戦前彦三郎名義の復元である。
〔右より 21.8cm(昭和44年8月)、15.5cm(昭和43年8月)、21.1cm(昭和44年4月)(橋本正明)〕
辰雄描彩のこけしのほかに川越謙作型なども作った。
〔系統〕 津軽系大鰐系列
〔参考〕
- 橋本正明:動き出した大鰐〈こけし手帖・95〉(昭和44年2月)
- こけしのなかのわたし 佐々木金一郎工人の川越謙作型
- こけしのなかのわたし 佐々木金一郎工人のこけし