佐藤次雄(さとうつぎお:1908~1978)
系統:弥治郎系
師匠:佐藤勘内
弟子:佐藤隼雄/佐藤美奈雄
〔人物〕 明治41年1月25日宮城県刈田郡福岡村八宮字弥治郎の佐藤勘内、ふよの二男に生まれる。母ふよは白石の高子仁四郎の三女である。佐藤伝内は伯父にあたる。佐藤雅雄は長兄、佐藤稔は弟である。
尋常小学校卒業後、父勘内について木地を学んだが、昭和元年19歳のころ機事業を離れ、自動車の運転手に転業した。白石、鎌先間のバスの運転手をしていたこともある。
白石のこけし研究家であり、白石和紙の研究家であった菅野新一が、和紙の干し板を作るために求めたカヤの巨木二本を稲子の奥の大沢から白石まで運んだトラックの運転手が佐藤次雄だったという話もある。
戦後になって白石市で木地業を復帰したが、主に新型の木地を挽いていて伝統こけしはほとんど作らなかった。昭和45年10月63歳になって伝統こけしつくりを再開した。次雄の長男美奈雄、次男隼雄にも木地の技術を伝えた。
昭和53年8月13日没、行年71歳。
〔作品〕 昭和45年伝統こけしに取り組むようになって、主に父勘内の型を製作した。ただ、新型木地を長く挽いていたためか、幾分新型の雰囲気が残った。
〔伝統〕 弥治郎系栄治系列
〔参考〕
- 柴田長吉郎:「佐藤次雄追悼」〈こけし手帖・210〉 昭和53年9月号