佐藤美喜子

佐藤美喜子(さとうみきこ:1955~)

系統:弥治郎系

師匠:佐藤誠孝

弟子:

〔人物〕昭和30年1月4日、会津若松の電気技師秋山孝の三女に生まれる。4人兄妹の末子。母親の祖は土湯上の松屋の系譜とつながりがあると言う。おとなしい性格だったが運動神経に優れ、高校時代にはバトミントン部で主将として全国大会に出場したことがある。
昭和49年佐藤誠孝と結婚。夫の誠孝は当時母の秀子が経営していた旅館業の番頭をしながら、高橋精志について木地を学び、こけしの製作を行っていた。結婚後美喜子は義母の旅館業を手伝って働いた。誠孝との間に長男英之、二男裕介をはじめ四人の子供をもうけた。
誠孝のこけし製作が順調になったため、旅館は他人に譲り、「木地処さとう」としてこけしや木地製品の製作販売を専業とするようになった。
平成15年ころ長男英之がこけしを製作するようになったので、美喜子も同じころからこけしの製作を始めた。
平成23年の東日本大震災では被災し、一家は約一年群馬県渋川市赤城町に移転したが、平成24年の4月に平(福島県いわき市平塩字徳房内)に戻り、「木地処さとう」の営業を再開した。


右:佐藤英之 左:佐藤美喜子 平成30年弥治郎初挽式 撮影:佐藤 健兒朗

〔作品〕下掲は平成15年の作、ほぼ初作である。戦後の佐藤誠の作風を継いでいた。


〔 18.0cm(平成15年)(高井佐寿)〕

佐藤誠の型の他に、下掲のように高橋精志の精助型も作るようになった。


〔 18.2cm(平成16年)(橋本佳子)〕

戦前の佐藤誠の型にも取り組んだ。色調はモダンで新感覚である。


〔 21.0cm(平成18年ころ)(橋本正明)〕  

古作の型を継承した作品のほかに、本人型として胴裾をくびらせた地蔵型様の木地にミヤマキリシマの花などを描いた作品も作る。

〔伝統〕弥治郎系嘉吉系列

 

〔参考〕

木地処さとう
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