白畑幸作

白畑幸作(しらはたこうさく:1924~1970)

系統:独立系

師匠:白畑重治

弟子:

〔人物〕大正13年4月12日、酒田市外野町の白畑重治、芳の四男に生まれた。白畑與太郎は長兄。高等小学校を卒業後、東北機械(現在の東北電気鉄工㈱)に勤め、親会社鉄興社の機械工養成所で訓練を受けた。昭和19年ころ、神奈川県久里浜の海軍工作学校に入り、のち逗子部隊に所属、戦後酒田に戻り、東北農機㈱に勤務した。昭和28年に退社して、木型修理業を開業した。昭和44年には、酒田市光ケ丘三丁目に新工場を建てた。
木地は小学校6年ころからはじめて、戦前は勤めのかたわら、父重治のこけし製作を手伝い、戦後も一時、兄與太郎のこけしの描彩を手伝った。しかし、こけしに関わった期間はそう長くはない。
昭和45年8月30日没、行年47歳。 

〔作品〕戦前の作品は〈鴻・第14号〉に木地描彩とも幸作として作品の写真が父重治のこけしと並んで掲げられている(ただし説明は左右が入れ違っている)。父の作品と違って目が大きく、華やかなこけしである。ただ、このこけしも描彩は幸作ではなく與太郎の妻よしとする説もある。


〈鴻・第14号〉掲載の右:幸作 左:重治
ただし〈鴻〉の解説文では左右逆になっている

戦後のこけしは、兄與太郎のこけしとして流布したもののうちに混在する。昭和33年に出版された〈こけしガイド〉初版に与太郎として紹介された写真は幸作の描彩という。


〔18.6cm(昭和35年頃)(高井佐寿)〕

白畑一家のこけしの描彩は、幸作か、與太郎の妻よしか、また與太郎、よしの娘喜代か判然としない。

〔伝統〕独立系

 

〔参考〕

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