高橋金三(たかはしきんぞう:1923~2002)
系統:南部系
師匠:高橋悟郎
弟子:
〔人物〕大正12年8月10日、岩手県花巻市の木地業高橋悟郎の長男に生まれた。弟に金四郎がいる。父の悟郎はもともと傘ロクロの職人であり、特に矢田目式傘ロクロを用いていたが、さらに静岡で当時先端の芦川式傘ロクロを学んだ。悟郎は戦後になってこけしも作った。
金三は父悟郎について木地を学び、昭和28年よりこけしを作るようになったが、この当時は新型風のこけしであった。昭和33年夏に花巻に来た佐藤誠と会う機会があり、伝統のこけしを作るよう勧められて、少しづつ作るようになった。佐藤誠は鉛の藤井梅吉型を作っていたが、昭和45年に亡くなり梅吉型は廃絶してしまった。高橋金三はその廃絶を惜しみ、また煤孫実太郎の薦めもあって梅吉の遺族の許可を得た上で、昭和47年2月から梅吉型の復元を始めるようになった。当初は佐藤誠が復元した梅吉型に近い作であったが、昭和48年になって梅吉の古品に基づいた復元を次々に行うようになり注目されるようになった。
平成14年10月29日没、行年80歳。
〔作品〕
下掲右より二本目は昭和55年の「こけしの会」頒布。
〔右より 15.7cm、18.5cm(昭和55年)、24.5cm、15.7cm(昭和52年)、18.6cm(昭和49年)(橋本正明)〕
〔系統〕南部系
〔参考〕
- 箕輪新一:高橋金三の藤井梅吉型こけし〈こけし手帖・133〉(昭和47年4月)
- 国府田恵一:こけし千夜一夜 第902夜:金三の梅吉型(1)
- 国府田恵一:こけし千夜一夜 第903夜:金三の梅吉型(2)
- 村上穆:追悼 高橋金三さんの梅吉こけし〈こけし手帖・第508号〉(平成15年5月)
- 矢田正生:わたしたちの高橋金三(令和2年2月〉