菅原和平(すがわらかずひら:1945~2025)
系統:鳴子系
師匠:菅原春治/岡崎斉司
弟子:菅原くにみ/菅原昌秀
〔人物〕昭和20年9月13日、宮城県栗原郡一迫町小坂本の農業狩野良夫、いちのの五男に生まれた。昭和39年3月、宮城県古川商業高校卒業。昭和42年4月、鳴子町上鳴子の木地業菅原春治の長女くにみと結婚して、春治の養子となった。春治につき木地の修業を行ったが、菅原家の工場では新型こけしその他の木地製品を作るのが主体であったので、和平は岡崎斉司について伝統こけしの指導も受けた。昭和43年4月より伝統こけしを製作販売するようになった。
「こけしの菅原屋」の経営にも携わり、また鳴子木地玩具協同組合(創立26年)理事長や、昭和50年に開館した鳴子の日本こけし館の館長も務めた。
令和7年8月10日に行年81歳で逝去した。
〔作品〕伝統こけしに取り組み始め、まだ試作段階の頃(昭和43年2月)、鹿間時夫が和平を訪ね、鈴木庸吉の復元を依頼したことがあった。

〔26.0cm(昭和43年2月)(中根巌)〕庸吉型 鹿間時夫依頼による復元作
庸吉型は、かなり丁寧な復元であり、面白い出来であり、〈こけし辞典〉にも写真で紹介された。ただ、それ以降は作っていない。
和平のこけしは岡崎斉司の作風が基盤であるが、いわゆる鳴子共通型を製作していた。
〔系統〕鳴子系。鳴子共通型。
〔参考〕