田中重吉

田中重吉(たなかじゅうきち:1882~1935)

系統:津軽系

師匠:

弟子:嶋津彦三郎

大鰐の木地屋。明治15年頃の生まれ。父は田中忠太郎。弘前工業高校を卒業。俗称じゅうまん。
田中家は澤田、間宮本家・分家、村井、油川、横山とならぶ大鰐の古くからの木地師、大鰐七軒という。
こけしも挽いたというが作品は未確認。ロクロ線と墨の簡単なものだったと娘の八重が語っていた。
大正になって嶋津兄弟(彦作彦三郎)が温湯から大鰐に来た時にはしばらく重吉の家に世話になった。嶋津彦三郎は重吉について木地を習った。他に重吉の弟子に松岡新太郎がいる。鳴子の秋山耕作も重吉のところで働いたことがある。
昭和7年に満州の大連に移り、昭和10年に没した。行年54歳。

田中重吉

なお重吉の父忠太郎は、明治23年に東京上野で開催された第3回内国勧業博覧会に杓子を出品している。

温湯、大鰐からの出品

〔参考〕

  • 宮藤涼一:大鰐こけしのこと〈こけし手帖・104〉:昭和44年11月

 

 

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