奥山安治(おくやまやすじ:1862~1928)
系統:山形系
師匠:小林倉治
弟子:奥山広三/奥山喜吉
〔人物〕文久3年4月13日、山形県西村山郡谷地町甲七五番地の大工奥山養吉の二男に生まれた。寺子屋で菊田大全に学んだ。明治11年ころ山形市十日町の小林倉治の弟子となり、木地を修業した。神尾長三郎は兄弟子、鈴木米太郎は弟弟子にあたる。こけしもこの時代より倉治の指導を受け作ったという。明治17、8年ころ、不祥事を起こし倉治の下に居られなくなったので山形を離れ、明治20年天童市川子の守谷勘七の娘と結婚した。
明治28年6月に谷地の生家で木地業を開業した。安治は腕のよい職人で、こけし、玩具、雑器等なんでも作った。また安治の兄喜吉(万延元年生)は大工であったが、屋根から落ち負傷以来、木地を挽くようになり、こけしも若干作ったとのことである。大正9年から四男広三に木地を教えた。その後も自宅で木地業を続けたが、昭和3年に仕事中に倒れ、昭和3年12月11日死亡した。行年67歳。
〔作品〕 倉治の古い弟子であり、山形系の重要工人であるが作品は未確認である。
〔伝統〕山形系
〔参考〕