高橋敏文(たかはしとしふみ:1951~2000)
系統:鳴子系
師匠:高橋盛雄
弟子:
〔人物〕 昭和26年12月29日、宮城県玉造郡鳴子町新屋敷、高勘のこけし工人高橋盛雄、達子の二男に生まれる。高亀の高橋武俊とは同学年であった。
昭和45年20歳より、父盛雄について木地の修業を開始し、こけしの製作を始めた。
結婚後、昭和58年に仙台に移ったが、昭和62年に鳴子に戻り再びこけしの製作を開始した。平成8年頃より、体調を崩していたが平成12年5月28日に没した、行年数え年50歳。
高勘本家のこけしの後継者であったが若くして亡くなったのは残念であった。
〔作品〕 高橋勘治-高橋盛-高橋盛雄と継承された高勘の作風を守ったこけし製作を行った。
重厚な肩の丸みを持つ木地に、豊麗な菊模様を描いた。
曽祖父勘治の型も復元製作している。最盛期は下掲のように細めの筆致でかっちり面描を整えた完成度の高い勘治型であった。敏文の勘治型には、前髪と鬢の間から、水引の赤の飾りが前髪下端よりさらに下まで長く引かれるという特徴がある。
〔系統〕 鳴子系利右衛門系列