高橋利四郎

高橋利四郎(たかはしりしろう:1872~1918)

系統:鳴子系

師匠:高橋直蔵

弟子:中村雷治/大沼勘太郎/梅津庚子郎/伊藤儀一郎

明治5年9月20日、高橋利左衛門、とらの長男として、宮城県栗原郡姫松村片子沢(現在の栗原市栗駒片子沢)に生まる。明治22年(推定)、18歳のとき鳴子の高橋直蔵(高橋亀三郎の父)に弟子入りし、明治25年(推定)21歳まで木地を修業した。亀三郎も利四郎より13歳年長であるから、亀三郎からの指導もあったかもしれない。なお亀三郎の長男武蔵の妻女は利四郎の生家と親戚筋にあたるという。
〈こけしの追求〉によれば、「その後鳴子町湯元で独立、約4年間営業。明治34年(推定)、30歳のとき警察署前へ移転し、大正7年9月27日47歳で没した。」とあるが、死亡したのは同年9月21日が正しい。
利四郎は大正3年に東京で開催された大正博覧会に、菓子器、吸物椀、茶卓等木地製品を出品している。


大正博覧会(宮城県からの出品目録)
下段の右から二人目に利四郎の名がある。

利四郎没後は、妻みねが大正9年8月に家督を継ぎ、経営者となり業を続けた。利四郎のこけしは未確認であるが、小物が得意でこけしもかなり作ったらしい。利四郎没後は弟子の中村雷治が未亡人みねを助けて、こけしも作ったといわれている。
利四郎の弟子には、中村雷治、大沼勘太郎、梅津庚子郎、伊藤儀一郎などがいた。現在、利四郎のこけしを継承している工人はいないが、儀一郎の小寸立ち子には利四郎の様式が残っているかもしれない。

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