早坂源治(はやさかげんじ:1894~1962)
系統:鳴子系
師匠:高橋亀三郎
弟子:
〔人物〕明治27年11月2日、宮城県加美郡小野田町東小野田下野目下久保に生まれる。
明治39年13歳で鳴子の高橋亀三郎の弟子となり7~8年修業して舟形山の東麓宮城県黒川郡大和町吉田村升沢に帰り、主として製炭に従事、杓子を作ったり、また馬の尻管等の木地挽きもした。正月用品は大和町吉岡に出し、うす、きね、こま等玩具類は鳴子に出した。52、3歳まで木地挽きをした。昭和37年12月13日、中風のため亡くなった。行年69歳。
無口な職人気質で、純粋の山男であったという。鹿間時夫は昭和43年春に、吉田村升沢を訪ね、未亡人のせんよりその経歴を聞いてきた。長男源喜は会社員で木地は継承しなかったという。
なお、吉田村升沢はその後、陸上自衛隊王城寺原演習場の騒音対策により集団移転となり廃村となっている。
〔作品〕40歳代の後半に、近所の子供に作ってやったこけしが残っていた。仙台の鈴木清がロクロを譲り受けた際に、一緒に譲られたものという。
鹿間時夫の観察によると、「おかっぱ頭で、肩に高橋勘治式の丸い段が二つあり、胴の上下に一本ずつ溝が入っており、正面菊か菱菊が描いてある」という。下掲写真がそのこけしであるが、鳴子高亀の古い作風は残っていない。鳴子を離れてから30年近くたってからのこけしであり、むしろ当時の当世風を意識したものだったかもしれない。
〔伝統〕鳴子系直蔵系列