川合信吾(かわいしんご:1930~2000)
系統:鳴子系
師匠:岸正男
弟子:
〔人物〕昭和5年6月2日、鳴子の商業(川合商店)川合善四郎の三男に生まれる。昭和22年、鳴子の岸正男について木地を学び、こけしを製作した。伊勢の川口貫一郎発行の〈こけし・21〉(昭和27年)に高橋武男の入稿による「鳴子の作者」という記事があり、「岸に師事、現在こけしを作る」と紹介された。独立して昭和20年代にはこけしを多く作ったが、こけし収集家の休止期であったためこの時期の作品は多く残っていない。昭和30年頃に鳴子を離れて、宮城県遠田郡小牛田町字志賀町に移り、この地で新型の木地などを挽いていた。また、塩釜で溶接関係の業務に従事していたこともあったという。
昭和53年頃までは、仕事休みを使って鳴子の岸正男の店へ出向いて、こけし製作を手伝っていた。
昭和57年頃より小牛田の自宅で伝統のこけし製作を復活した。平成11年、柴田長吉郎著〈宮城伝統こけし〉で小牛田の作者として川合信吾の名前が紹介されたが、翌年の平成12年10月8日に没した、行年71歳。
〈こけし辞典〉では河合信吾として項目が立てられているが、川合が正しい。
〔作品〕昭和20年代の作品は、当時の鳴子の一般型のこけしであったが、表情はそれほど甘美に流れず、あどけなくおっとりとした面描だった。
昭和57年復活以降のこけしは、一般型を離れて伝統的な鳴子の様式を追求したように見える。
下掲は復活して間もない時期の作と思われるが、表情も古式であり、胴の楓も動きがあって自然にに描かれ、作品としてまとまりがある。
〔伝統〕鳴子系金太郎系列
〔参考〕