山谷きよ(やまやきよ:1912~1997)
系統:津軽系
師匠:山谷権三郎
弟子:北山盛冶/山谷レイ
〔人物〕 明治45年3月21日、青森県南津軽郡山形村牡丹平に生まる。渡辺三次郎、さわの六女。昭和15年先妻ハルを亡くした山谷権三郎と結婚、後妻となった。権三郎との間に敏光・ミチヱの二子を設けた。先妻ハルの子敏一がいたが、このほうは宇野時枝と結婚、温湯の鶴泉に別宅をかまえた。結婚後すぐに権三郎木地にこけしの描彩をするようになった。戦後は権三郎が中風で挽けなくなり、山谷家独特のこけしは作れなくなってしまったので、毛利専蔵の木地にきよが描いたものを出していた。権三郎没後はほとんど、こけしも作らず、その後は義子敏一とともに県外に出稼ぎに行ったりしていた。昭和58年、北山盛冶に依頼されて権三郎型の描彩を教えた。平成9年1月13日没、行年86歳。
〔作品〕 胴模様の椿は、きよが水墨の絵を見て描き始めた独創だと言っていた。また楓の模様も描くが、これはもみじの名所中野から拾ってきて図案化したものと語っていた。
〔伝統〕 津軽系温湯亜系
〔参考〕