遊佐泰雄(ゆさやすお:1942~2015)
系統:鳴子系
師匠:桜井昭二
弟子:
〔人物〕昭和17年5月17日、宮城県玉造郡鳴子町鳴子の公務員遊佐菊治、時子の三男に生まれる。本名は恭雄。昭和33年鳴子中学校を卒業後、4月より桜井昭二の弟子となり5年間修業した。年季が明けてからは「さくらい」の職人をしていた。昭和41年頃からこけしの製作を開始した。桜井コウの型を参考にして始めたと語っていた。三彩社の〈こけし〉により作者として紹介されたが、このときは本名の「遊佐恭雄」と表記されていた。以後〈こけしガイド〉、〈こけし辞典〉でもこの表記で紹介されていた。後にこけしには「遊佐泰雄」あるいは「遊佐康雄」と署名するようになった。
昭和49年に独立して上鳴子に工房を置いた。独立後一時期、自宅は岩出山にあったが、まもなく上鳴子を工房兼自宅とし、この地でこけし製作を続けた。
平成27年12月16日没、 行年74歳。
桜井一家 後列左より 桜井万之丞、五十嵐勇、佐藤実
前列左より 桜井コウ、桜井昭二、遊佐泰雄 昭和37年 撮影:露木昶
〔作品〕桜井コウの型を参考にしてこけしを作り始めた。その後、桜井昭二より伝承した「さくらい」の型を製作している。基本は大沼岩蔵の様式である。
〔伝統〕鳴子系岩太郎系列