佐藤重二(さとうしげじ:1914~1941)
系統:遠刈田系
師匠:武田仁兵衛/佐藤巳之吉
弟子:
〔人物〕大正3年、山形県米沢市の工場経営佐藤春次の次男として生まれた。父の春次は米沢市北堀端町で佐藤撚糸機械製作所を経営していた。重二は昭和5年ころから米沢市膳部町の武田仁兵衛(山形の小林倉吉の弟子)について木地を修業。木管等撚糸関係の木地を挽いた。こけしは昭和13年ころから父春次の工場で働いていた遠刈田の佐勝巳之吉に教えを受け、その描彩を習った。昭和16年9月に入院し、同年10月に病死した。行年28歳。
〔作品〕昭和15年刊の〈鴻・第5号〉で新作者として紹介された。しかし、製作開始後まだ間がなく未熟であるとして、その作品の誌上発表はひかえられていた。昭和16年11月の〈鴻・第13号〉に「作者産地のニュース」として佐藤重二と仙台の海谷周松の二人の死亡の報告とその作品が写真掲載された。
鹿間時夫は「描彩はこれからというところであったが、巳之吉の弟子にふさわしく、辛口の味を持った剛直で特異なこけし〈こけし辞典〉」と評した。残る作品数は非常に少ない。
〔16.5cm(昭和15年)(横山五郎旧蔵)〕
下掲の米浪庄弌旧蔵のこけしの面描等を見ると、巳之吉の描法を写そうとしているのがよくわかる。
〔伝統〕遠刈田系吉郎平系列
〔参考〕