佐藤菊蔵

佐藤菊蔵(さとうきくぞう:1893~)

系統:弥治郎系

師匠:佐藤栄治(飯坂)

弟子:

明治26年9月に生まれた。出身地、両親名は不明。明治39年14歳で飯坂八幡屋の佐藤栄治に弟子入りし、木地の修業を行った。こけしは挽いたが描彩はしなかった。当時挽いたこけしは直胴がほとんどであったという。大正3年に12歳で飯坂を出て丸森で4年間木地業に従事し、その後仙台の東北漆器株式会社へ入ったが、間もなく破産したので秋保へ移り、鳴子出身の高橋純逸と一緒に茶櫃、盆などを挽いた。大正末年に木地業を辞めて、秋保の旅館岩沼屋へ務めたという。昭和40年代に柴田長吉郎が訪ねた時には記憶もしっかりしており、飯坂八幡屋の古いことを語りうる証人として貴重であったという。〈こけし手帖・99〉にその訪問記録がある。飯坂の佐藤栄治は、息子の喜一には描彩をさせたが、他の弟子には一切描彩をさせなかった等と語っていたという。

〔参考〕

  • 柴田長吉郎:こけし抄録・31 佐藤菊蔵のこと〈こけし手帖・99〉(昭和42年2月)
[`evernote` not found]