藤原新吾

藤原新吾(ふじわらしんご:1911~1969)

系統:南部系

師匠:藤原政五郎よりの見取り

弟子:

〔人物〕 明治44年2月2日、岩手県五郎城藤原政五郎、ナカの二男に生まる。長男左兵衛は生後間もなくなく亡くなったので、新吾が事実上の跡取りであった。
木地は挽かなかったが、父政五郎の木地に描彩をしていたことが昭和43年柴田長吉郎の調査で判明した。昭和10年から14年までのこけしで藤原政五郎B型と称しているものである。
昭和14年に召集入隊し、戦後は昭和42年3月まで湯本中学校の教員を勤めており、描彩は行なっていない。昭和44年2月柴田長吉郎の要請で煤孫実太郎の木地に描彩復活したものが二本知られている。明らかに政五郎B型と同じ筆法であり、B型の描彩者が新吾であることが確認された。
昭和44年3月没、行年58歳。


藤原新吾 昭和43年 撮影:柴田長吉郎
 

〔作品〕藤原政五郎の年代鑑別表では、政五郎名義のこけしをAからEに分類しているが、昭和10年から14年に分類されるBのこけしが藤原政五郎木地に新吾が描彩したものである。
これは下掲の所謂カテゴリーBのこけしを柴田長吉郎が新吾のもとに持参して確認した。


柴田長吉郎が新吾の描彩であることを確認したこけし 〈こけし手帖・91〉(昭和43年10月)

カテゴリーBは、昭和10年頃から新吾が応召されるまでの期間に作られたもの。名義は政五郎である。平面的に描き下された鬢の筆法に特徴がある。


〔右より 15.8cm(昭和12年ころ)(河野武寛)、30.0cm(昭和13年ころ)(国府田恵一)、15.6cm(昭和13年ころ)(鈴木康郎)〕 B型

〔伝統〕南部系

 

〔参考〕

  • 柴田長吉郎:「藤原政五郎-五郎城こけしの追求ー」〈こけし手帖・91〉(昭和43年10月)
  • 鈴木康郎:談話会覚書(15)「藤原政五郎のこけし」〈こけし手帖・630〉(平成25年7月)
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