坂本恭啓

坂本恭啓 (さかもとよしのり:1985~)

系統:土湯系

師匠:瀬谷幸治

弟子:

〔人物〕昭和60年3月9日、福島県双葉郡富岡町に生まれる。平成19年3月に苫小牧駒沢大学国際文化学部国際コミュニケーション学科(現在は国際文化学科)を卒業する。若い頃よりアイヌ文化や蝦夷地の勉強をしたかったので、この学校に進学した。
学卒後は学芸員、林業作業等の仕事に従事した。その後農業をしながら伝統こけしに出合い大きな感動を受けた。特に瀬谷重治、幸治親子のこけしに感銘を受け、人生の集大成として自らもこけし製作者となる事を決意した。平成28年に瀬谷幸治に弟子入りを考えるも、幸治の体調が優れず長期休業中で叶わなかった。そのため本多洋の弟子である磯川盛雄の工房等を回り準備をした。その頃、こけし蒐集家遠藤忠の献身的な努力の結果、瀬谷幸治は回復し平成29年3月に弟子入りを認められ、毎週双葉郡川内村下川内五枚沢の自宅から片道2時間以上かけて修業に通っている。
尚、遠藤忠は昭和24年3月3日生まれのこけし蒐集家で「こけしと語ろう会」の幹事でもある。元々、瀬谷重治の大ファンで、平成13年頃より10年以上木地挽を中断していた幸治の事を不憫に思い、何とか復活させたいと平成24年4月に幸治に入門し、週に2回工房に通って轆轤を回し、木地業復活の道を一緒に歩んだ一番弟子でもある。尚、遠藤忠はこけしは作らず主に盆、皿、茶筒等を製作していて現在も修業を続けている。
従って坂本恭啓は幸治の二番弟子となる。


坂本恭啓 令和元年9月17日 撮影:中根巌

〔作品〕平成29年に瀬谷幸治の指導によりこけしの製作に取り組んだ。瀬谷幸治から継承した瀬谷重治のタコ坊主と称される善吉型を作る。令和元年8月に鳴子の第65回全国こけし祭り審査品に3寸の重治型3本を非売品で出品したが、これが実質のデビュー作となった。

鳴子のこけし祭りへの初出品作


〔右より、10.3㎝、10㎝、10.6㎝(令和元年9月)(中根巌)〕

現在まだ修業中で当分師匠のところに通うと語っている。

〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系

〔参考〕

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