磯川盛雄(いそかわもりお:1937~2024)
系統:土湯系
師匠:本多洋
弟子:
〔人物〕 昭和12年7月7日、軍人磯川弥五郎、トラの次男として猪苗代町に生まれる。昭和28年に猪苗代町立猪苗代中学校卒業後、猪苗代役場に勤めた。昭和37年遠藤民子と結婚。本多洋は役場の先輩で良く面倒を見て貰った。
元来木地製品に興味が有り、昭和59年頃から手製のロクロで盆や花器を独学で製作していた。平成3年に町内の同じ趣味を持つ同好と「猪苗代町木工ロクロ同好会」を結成した。この時に本多洋から指導を受ける機会があり、平成5年からは創作こけしの製作も行った。
平成9年3月、42年間つとめた役場を退職して、その年の9月に本多洋に正式に弟子入りして修業を続けた。平成12年4月には中ノ沢こけしの製作を許された。
石川功は兄弟子で、磯川は本多洋の二番弟子にあたる。芳蔵の弟子は沢山いるが、徒弟制度の中で住み込みの弟子として修業したのは、村田徳次と本多洋の二人だけであった。磯川はその本多洋のもとへ通って技術を習得した。初出の文献は〈伊勢こけし会だより・90号〉(平成13年6月発行)で、中根巖より報告された。
平成27年頃より体調を崩し休業、その後轆轤を処分してこけし製作から一旦離れたが、令和3年に鈴木久雄(須賀川)の木地を用いて描彩だけ復活して子持ちこけしなどを少量作ったことがあった。令和6年2月に脳梗塞で入院し、一時は回復したが令和6年3月8日に肺炎ためにより逝去した。行年88歳。
〔作品〕下掲写真は平成13年作でこけし製作の極初期の作。
下掲写真の右の二本も平成13年作で上掲と同様にこけし製作の極初期の作。本多洋の作風を継承している。平成18年頃より岩本善吉の型や岩本芳蔵の戦前の型などにも取り組むようになった。
〔右より 18.2cm(平成13年4月)、18.2cm(平成13年7月)、24.2cm(平成16年11月)、24.8cm、24.2cm(平成18年1月)、21.3cm、18.2cm(平成18年6月)(中根巌)〕
〔右より 13.3㎝(令和3年11月)、24.5㎝(令和3年11月)、13.4㎝(令和4年1月)(中根巌)
須賀川 鈴木久雄の木地による
〔系統〕 土湯系中ノ沢亜系
〔参考〕