本多淳嗣

本多淳嗣(ほんだあつし:1961~)

系統:土湯系

師匠:本多信夫/本多洋

弟子:

〔人物〕昭和36年2月16日、福島県中ノ沢の本多洋、芳子の三人兄弟の長男として生まれる。昭和58年3月に山梨大学教育学部を卒業して教員となった。現在は須賀川市立西袋第二小学校の校長を務めている。
淳嗣が小学生の頃は、父の本多洋は木地業を休業中で、生家の仕事を手伝っている時期にあたり、中ノ沢を離れている。
淳嗣は、雄勝小学校(宮城県桃生郡雄勝町、現在は石巻市)に入学し、3年生から4年途中まで石巻市の蛇田小学校へ転校し、4年生の途中から卒業するまで福島県猪苗代町の猪苗代町小学校に通った。
小学校5年生11歳のころ、祖父信夫の木地に描彩したこけしを作った。勉強堂が信夫のこけしを扱っていて、淳嗣の非凡な作風を主人が目に留め、勉強堂から何回か販売したことがあった。
但し描いたのは11歳の時数回のみでその後は描いていない。
こけし製作再開の意思は殆んど無く、轆轤・道具一式は柿崎文雄に託したとの事である。

〔作品〕下掲のこけしは、小学校5年生11歳の時に祖父信夫の木地に描彩したもの。福島駅前の土産物屋の勉強堂から売り出された。


〔右より 29.7㎝、16.3㎝(昭和47年)(中根巌)〕 木地本多信夫


〔8.8cm(昭和47年)(原由紀)〕

〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系

 

〔参考〕

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