半澤正則(はんざわまさのり:1954~)
系統:土湯系
師匠:瀬谷幸治
弟子:
〔人物〕昭和29年7月25日に会社員の半澤五郎、アサの長男として郡山市中田町高倉字宮ノ脇に生まれる。昭和48年3月に日大東北工業高等学校機械科を卒業し、就職した。昭和52年3月に星いよ子と結婚した。
日東グラスファイバー工業株式会社を定年退職後に、職場の先輩であった遠藤忠に誘われて瀬谷幸治の工房に何度か通い、幸治の体調優れない中で無心に木地に取組む姿勢と、一番弟子である遠藤忠の献身的な努力に感動を受けて、自分自身でもこけしを製作したいと強く思うようになった。「元来、機械いじりが好きであったので、轆轤や鉋にも愛着が芽生え、木を削る音や匂いが心地良く中ノ沢こけしの魅力に大いに取りつかれた。」という。
平成26年4月に正式に弟子入りを認められて、毎週幸治の工房に通う。二番弟子として平成31年3月で丸5年が経過した。
正則は「師匠の幸治はあれこれとは教えないが、戦後生まれの工人としては稀な木地師であり、道具作りと基本動作の反復の大切さを説いてくれている。」と語っている。
平成28年より自宅に工房も整えて、こけし作りに励んでいる。
半澤よりキャリアが浅く年齢も若い三番弟子の坂本恭啓は令和元年8月鳴子で開催された第65回全国こけし祭りで先のデビューとなったが、半澤の場合は令和元年11月30日から山形で開催の第39回みちのくこけしまつりへの出品がデビューである。
〔作品〕こけしは様々な型を製作しているが、基本的には瀬谷重治、幸治親子の岩本善吉型、芳蔵型を踏襲している。こけし以外には木地ダルマも製作する。
〔右より 25.2㎝、23.8㎝(令和元年11月)(中根巌)〕
令和3年に箕輪新一蔵の古い中ノ沢こけしと思われる黒こけしの型に善吉風の古式描彩を再現したこけしを製作し、名古屋こけし会から頒布された。初期善吉を偲ばせる興味深い作となった。
左:箕輪新一蔵 黒こけし 、右:半澤正則の再現 23.8cm(令和3年9月)(橋本正明)名古屋こけし会頒布
〔伝統〕土湯系中ノ沢亜系
〔参考〕
- 橋本正明:半澤正則の中ノ沢古作再現〈木でこ・238号〉(令和3年9月)