遠藤忠

遠藤忠(えんどうただし:1949~)

系統:産地

師匠:瀬谷幸治

弟子:

〔人物〕 昭和24年3月3日、福島県石川郡平田村に農業、遠藤茂義(えんどう しげよし)、節(せつ)の男5人兄弟の3男として生まれた。
学校卒業後に日東グラスファイバー工業株式会社に就職した。昭和46年に鳴子温泉を訪れた際に高橋盛雄、松子、たつ子の三兄妹のこけしを求め蒐集活動が始まった。この年4月に白石すゑ子と結婚した。東北各地の工房を訪ね、工人と話をして一本一本とこけしの収集を続けた。また職場の先輩である遠藤和と忠が中心となり、社友のみのこけし愛好会を結成して頒布活動を15年間続けた。平成5年3月「こけしと語ろう会」を発足させ、幹事と会計を務める。〈こけし時代・第三号〉(平成23年12月発行)のこけし棚拝見に忠(木好庵・もっこうあん)のコレクションが掲載された。昭和55年頃に瀬谷重治の人間性に共感して工房を頻繫に訪れては会話を楽しみ、木取りや木の乾燥の手伝いをして木地の講習を受ける事もあった。佐藤正にも可愛がられて種々の木地指導を受けた。平成23年3月、東日本大震災の年に定年退職をした。この頃、瀬谷幸治は体調を崩して10年程木地から全く離れていた。気心知れた幸治を誘いこけしイベントに誘い復活を試みた。幸治も家族以外では忠にだけ心を許し会話した。平成24年4月に5才年少の瀬谷幸治に弟子入りが許されて二人で轆轤に向かう日々が続いた。忠の弟子入りは幸治にとってもリハビリの重要な日々であった。24年秋に幸治は10年振りに僅かながらこけし作り復活を果たした。遠藤忠の瀬谷親子二代への熱い気持ちが幸治を動かしたのであった。幸治は平成27年からは寡作ながらも注文にも応えている。入門者も多く、平成26年4月には忠のサラリーマン時代の後輩である半澤正則、平成29年3月には坂本恭啓、令和元年11月には中ノ沢初の女性工人となる関根由美子が幸治に弟子入りした。また石井信明は平成24年10月に描彩だけ師事した。他にも弟子はいたが、許可されていない作品を知人に譲り破門された者もいる。忠を含め弟子の誰一人も弟子上がりすることなく、継続して瀬谷工房に通い続けている。瀬谷工房では幸治が師匠であるが、口数少なく教える事も少ないので、忠がコーチ的な立場で幸治の教えを伝えている。


右より、関根由美子、半澤正則、瀬谷幸治、坂本恭啓、遠藤忠

〔作品〕遠藤忠は木地は挽くが、事情があってこけしは描いていない。


右より、高杯・8㎝・平成29年作、えじこ台・2.3㎝・平成26年作、ワイン杯・10㎝・平成26年作

 

 

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