佐藤善七(さとうぜんしち:1852~1910)
系統:鳴子系
師匠:伊藤仁蔵
弟子:
〔人物〕宮城県本吉郡横山村大徳寺門前(現在の登米市津山町横山)でこけしを作っていた工人。
嘉永5年7月8日佐藤善十郎長男として横山に生まれる。鳴子の木地師より技術を学んだ伊藤仁蔵について木地を習得した。こけしも作り、横山不動尊の門前で売っていたという。妻女ちえは宮城県玉造郡岩手山村(善七の戸籍には岩出山を岩手山と表記してある)の伊藤七兵衛の長女。旧姓伊藤であること、また鳴子に近い岩出山出身であることから、師の仁蔵との関係も推測されるが確証はない。子供は女ばかり4人であり、木地の後継者はいない。明治43年10月18日没、行年59歳。
〔作品〕下掲は、昭和9年に深沢要により横山で発見されたこけし。このこけしおよび発見の経緯は〈こけしの微笑〉に詳しい。作り付け4寸9分。前髪、鬢は僅かに残るが面描の詳細は残っていない。胴には桜花が上下に二つ描かれている。
長沢村の伊藤長作文書に描かれたこけし絵(明治19年)とも通じる古風な形態をしている。
鳴子でこけしが生まれたのち、周辺の温泉や寺社の門前など人のにぎわう場所で盛んにこけしが作られたと考えられるが、これも不動尊門前で売られた古い鳴子の流れを汲むこけしであろう。
横山こけし 佐藤善七
〔15.0cm(明治中期)(深沢コレクション)〕
〔伝統〕鳴子系。系列不明。後継者はいない。