奥山ヤス(おくやまやす:1875~1935)
系統:肘折系
師匠:奥山運七
弟子:
〔人物〕奥山運七の妻。明治8年5月22日、山形県北村山郡大石田町の榎本清助、モヨの二女に生まれる。榎本千代松の妹。橋本ヤスとした文献があったが榎本ヤスが正しい。明治28年肘折の奥山運七と結婚した。子供に恵まれなかったので、ヤスの姉の子である吾妻鉄造を養子にしたが、鉄造は木地の仕事を好まず、3年ほどで実家に復籍した。大正12年に運七の生家の近くから篠沢喜代治を養子として迎え、家業を継がせた。ヤスは運七こけしの胴模様の描彩を行っていた。昭和10年10月16日、61歳で没。
〔作品〕運七こけしの胴模様には、ヤスの描彩によるものがかなりあったという。ただし面描は行わなかったらしい。下掲はかつて杉本青苔が所蔵し吉田慶二所蔵となったというこけしで、面描運七でヤスが胴模様を描いたとされる。重ね菊の描き方が大ぶり、草書体で筆勢鮮やかであり特徴がある。
〔伝統〕肘折系
〔参考〕
- みずき会同人:運七と喜代治〈こけし研究ノート・Ⅱ-No.5〉(昭和40年12月)