高橋力雄(たかはしりきお:1931~)
系統:鳴子系
師匠:高橋武男
弟子:
〔人物〕昭和6年12月17日、宮城県玉造郡鬼首村字久瀬(現在鳴子町)に生まる。鳴子の高橋武蔵の母のつ(明治27年没)の妹なつの孫にあたる。昭和26年、高橋武男に弟子入りし、昭和30年まで木地を修業した。小学校、中学校時代の後輩伊東東雄も、力雄との縁で高亀に弟子入りした。その後、力雄は横挽きの修業のため小田原に転じ、その地で木地を挽くようになった。木地の腕は非常によかったという。
高亀に残った東雄が鳴子型のこけし製作を希望したところ、師匠の武雄から「鳴子型でなく蔵王の岡崎栄治郎の型を作るように」と言われたという話を聞いた高橋力雄は「鳴子で修業した木地師が鳴子型のこけしを作れないなら鳴子にいる意味がない。小田原は木地業が盛んだ、仕事は幾らでもある。小田原に来たらどうだ」と東雄を誘ったので、東雄も小田原に移ったという。
その後、力雄は健康を害して木地を廃業し、工員として小田原のプラスチックエ場に勤務した。
その後の消息ははっきりしない。
〔作品〕こけしは鳴子時代にきわめて少数作った。高亀の様式を忠実に継承したこけしであった。
〔伝統〕鳴子系直蔵系列
〔参考〕
- 高井佐寿:「伊東東雄の鳴子型こけし」〈木でこ・215〉(平成29年5月)