川越謙次郎(かわごえけんじろう:1907~)
系統:津軽系
師匠:加藤勘三郎
弟子:種沢義秋/笹部長作/岩間重行/室越良平
〔人物〕明治40年7月30日、青森県中津軽郡藤代字川面125に生まる。父忠吉は農業。大正9年4月14歳で弘前市一番町の箱根木地師加藤勘三郎の弟子となり、木地を習得した。師匠勘三郎が他界した翌年の大正14年3月20日に鷹匠町で独立開業、昭和22年10月17日に新鍛冶町に移転して木地業を続けた。
昭和32年に木地をやめ、その後は銘木店を経営した。弟子には弟の川越謙作のほか、種沢義秋、笹部長作(大正12年ころ生)、岩間重行、室越良平(大正13年生)の計五人がいる。
その後の消息ははっきりしない。
ちなみに謙次郎の兄弟子浜田利三郎方にある師匠勘三郎の遺牌によると勘三郎の没年は、大正14年となっており、謙次郎からの聞き書きと一年ずれがあるので謙次郎の独立開業の年代はこれにより一年ずれるかもしれない。
〔作品〕昭和5年に木村弦三氏に依頼されて作ったのが最初という。謙次郎として収集界に現われたこけしは、下掲右端のように髪の粗いモダンな作風のものであるが、おそらく謙作が謙次郎方で製作したものが謙次郎名儀で流布したものらしく、謙次郎真作は未確認である。〈こけしガイド〉初版に川越謙次郎として紹介されているこけしも、弟謙作の作品と思われる。
下掲左端は昭和34年で謙次郎がすでに木地をやめて銘木店を始めた後であり、謙作のものを自分名義で出したものと思われる。なお謙作は昭和34年7月に急性肺炎で亡くなった。その後謙作の四男祥行が頼まれて室越良平の木地に描彩したが、翌35年1月には上京したので川越一家による謙作型は作られていない。
〔右より 24.5cm(昭和16年頃)、21.2cm(昭和34年)(高井佐寿)〕
〔伝統〕津経系一般型。
〔参考〕